音色工房のメンバーの中で、吉川は他の4人とは少し違った立ち位置にいる。4人は関西を拠点にしているのに対して、吉川だけが東京で活動している。そして4人は、モノオペラ『邪宗門』の上演よりも前から平野作品に接していたのに対して、吉川は平野一郎という作曲家についての予備知識はほとんどなかった。彼女は平野から送られてきたこれまでの作品の音源を聴き、自分の耳だけを頼りに平野の世界を探っていった。
「東京で今まで出会った他の作曲家とは、全く違った印象を受けましたね。新しさや面白さだけを追求しているわけでなくて、すごく厳しく、こんなに真面目に向き合っている人が関西にいるんだなと思いました。古い手法で書いてある曲は、つまらなく感じてしまうこともあるんですけど、平野君の曲は単なる調性音楽じゃないから、そういうことが全然ない。それどころか、こんなに引き込まれるのはなぜだろうって。
楽器や声の特性を生かして最大限ギリギリのところまで書いてあるけれども、技巧的だけで終わらせていなくて、精神が感じられるのはすごいと思いました。何か普遍的な、確固たる自分の魂みたいなものが伝わる作曲家だと思います。
それに、送られてきた音源の演奏がまたすごい。どれも奏者が完全に作品に引き込まれて演奏しているのが伝わってくるんです。本当にすごい作品のパワーを感じましたね」
平野作品が演奏されるときの演奏者の熱気は、吉川だけが特別に感じたことではない。これまで多くの平野作品に参加している堤も、それを肌で感じていた。
「平野作品をやるときはそうなんですけど、演奏家がとんでもないテンションで取り組むのが感動を呼ぶらしいんです。バロックザールでの個展(「作曲家 平野一郎の世界 ~神話・伝説・祭礼……音の原風景を巡る旅~」)のときは、『作曲家の新作を演奏家がこれほど真剣に演奏するコンサートというのは、あまり知らない』と言われました。『邪宗門』のときも、尋常じゃない緊張感で始まったのが客席にビリビリ伝わったみたいです」
平野は曲を作るとき、自分が依代(よりしろ)になるイメージがあるという。依代とは、神霊が現れるときに宿ると考えられているもののことだ。
「自分ではエネルギーという言葉を使うんですけど、それが色んな方向から集まって、放たれて、受け止められていく。いかにそれを邪魔しないで、削がないで放つか。だから場合によっては、平野一郎という個人の存在が邪魔になることも多いんです。僕は多分、そのエネルギーを集めるために色んな場所に行ったりしているんです」
集まったエネルギーが平野に宿り、それが削がれることなくそのまま放たれたとき、演奏家がその全てを受け止め、放つためには相当のパワーが必要になるはずだ。それが、平野作品が演奏されるときの熱気の源であるという説明は、あながち的外れではないだろう。
面白いのは、佐藤の平野作品評だ。予想外の答えが返ってきた。
「平野君の曲を好きかと言われたら、別に好きじゃないですよ。だって気持ち悪いもん。気持ち悪いというのは、汚いという意味じゃなくて、植物みたいに血液の中にぐわっと入ってくる感じがするんですよ。そういうのが本当は僕には耐えられない。それぐらい生命力があるんじゃないかな。
植物の中には寄生虫とか色んな虫とかがいて、ひとつの花が咲くのにも、土の中ですごく色々あるわけじゃないですか。なんかそんな感じ。ぱっと見てもそれは感じないんだけど、それを見てしまったら平野君の曲はすごく気持ち悪い」
佐藤は音色工房の共同主宰者であり、モノオペラ『邪宗門』の音楽監督だ。彼は当然、平野作品を手放しで賞賛するだろうという予想は、見事に裏切られた。音色工房という集団、一筋縄では読み解けない。
しかし佐藤の感じた気持ち悪さは、表面からは見えないものが見えているからこその感触だ。きれいな花を見たとき、普通はきれいだとしか思わないだろう。やはり佐藤が平野作品の最大の理解者のひとりであることに間違いはない。
「今は何でも見せようとするじゃないですか。よりリアルに、どんどん見せようとするけど、平野君の曲はすごく隠されている。僕は結構そういうのに共感しているんです。外側から見たら何かわからないようになっている。そういう神秘の世界をあえて作るべきだと思う。そうじゃないと薄っぺらくなっちゃう。
バッハだって、絶対に誰も読み解けないような数字の計算があったりするよね。聴いている人は全然それに気付かないで、ただ美しいなあと思って聴くんだけど、それが何を表しているのか、正面からは見えなくなっている。結局、わかりやすくすると淘汰されちゃうんですよ。数年で命がなくなってしまう作品が多い中で、彼の曲はすごく面白いなあと思っているんです」
そして佐藤はこうつけ加えた。
「僕は好き嫌いでは動かない。好きか嫌いかじゃなくて、凄いか凄くないかだと思うんですよ。僕はそっちに価値があるような気がしているんです。平野君の曲は気持ち悪いんだけど、一緒にやりたいと思うんだよね。それは、この作曲家は自分だけの世界を持っているんじゃないかと感じているから」
佐藤流の言い方ではあるが、おそらく音色工房の他のメンバーも異存はないだろう。