「再演・邪宗門」 07-幸せな出会い

 音色工房のメンバーであり、モノオペラ『邪宗門』の唯一の登場人物であるソプラノ歌手、吉川真澄と平野との出会いは偶然のものだった。それは、堤が松方ホール音楽賞で大賞を受賞した2003年にさかのぼる。この年の松方ホール音楽賞は3人が大賞を受賞したが、その受賞者のひとりが吉川だった。堤も平野も、吉川のことはこの音楽賞で出会うまで知らなかった。受賞記念コンサートの客席で、平野は初めて吉川の歌声を聴いた。
「記念演奏ガラコンサートのときに、吉川さんがヴォルフの歌曲を歌っておられて、それがものすごくよかったんです。単によいと思ったというのではなくて、この人に日本語の歌を歌って欲しいと、心から思ったんですね。素晴らしい歌手はたくさん知っているけれど、そこまで強く思った歌い手は初めてでした」
コンサート終了後、平野は堤と一緒にレセプションに参加し、そこで吉川と会話を交わした。実は吉川はこのときのことをあまり覚えていないというのだが、それはともかく、平野は吉川と直接話をすることができたのだった。ただし彼は、ひとつだけ重大なミスを犯した。
「連絡先を聞けばよかった!お別れしてからものすごく後悔したんです」

 吉川真澄は大阪の岸和田市で生まれ育った。相愛大学音楽学部を卒業した後、東京に行き桐朋学園大学の研究科に進む。相愛ではイタリアオペラを、桐朋ではドイツ歌曲を中心に勉強した。現在も東京を拠点として音楽活動を行なっている。相愛時代は現代作品を歌う機会はなかったが、桐朋の研究科に在籍しているとき、ギター2本とソプラノのために書かれた作品の新作初演をしたのをきっかけにして、他の作曲家や演奏家から次々と新曲の歌唱依頼の声がかかるようになった。

 平野と吉川が次に出会うのは、松方ホール音楽賞の受賞式から4年後、サントリーホールで2夜に渡って開催された「日本の作曲家2008」というコンサートだ。第一夜に弦楽四重奏曲を出品することになっていた平野は、第二夜の出演予定者の中に吉川の名前を見つけた。「あ、この人だ!」と思った。
「絶対にこのチャンスに会わないといけないと思って、吉川さんのホームページを見つけて、とりあえずメールを送ったんです。その時点ではまだ歌曲は書いてないし、予定もなかったけれど、絶対にいつかあなたと一緒にやるんだって」
メールを送ったのは、コンサートの3ヶ月前のこと。結局、当日までに返事が返ってくることはなかった。平野は、きっと怪しい人だと思われたのだろうなと思った。しかしそのメールはちゃんと吉川のもとに届き、ちゃんと読まれていた。しかも興味を持って。
「コンサートに行きますというメールをもらったのは、2007年11月でした。今は声楽の作品はないんだけど、いつか日本語の歌詞のものを書きたいと思っているから、何か機会があったら……という内容でした。松方の受賞コンサートの時はドイツ語の曲を歌っていたのに、そのドイツ語の歌を聴いて、この人の日本語を聴きたいと思ったと書いてくれていて、面白い聴き方をされたんだなと思いました。歌曲を書きたいという作曲家は少なくて、歌の作品はなかなか取り組んでもらえないんです。日本語を書きたいっておっしゃっているのが、すごく興味があるなと思いました」
そしてコンサート当日。平野が最初に吉川の歌を聴いてから4年が経っている。万が一、今の吉川の歌が好きになれなかったら、会いに行くのはやめておこう、と密かに思っていた。
「だけど、やっぱり本当によかったんですよ。これはもう間違いないと思って楽屋に行ったんです。別に予定があるわけじゃないんだけど、いつかやりますからって」
そこで平野はようやく連絡先を交換することができ、それから吉川が出演するコンサートを何度か聴きに行くようになった。

 サントリーホールでのコンサートからさらに1年半が経ち、いよいよ『邪宗門』を題材にしたモノオペラを作るという構想が具体化したとき、平野の頭に真っ先に浮かんだのは、吉川真澄の名前だった。
「自分の中では邪宗門の世界を表現できるのは、やっぱり吉川さんしかいないと思っていました。童謡風の『空に眞赤な』という曲があるんですけど、それは詩を見たほとんどその瞬間に、すぐにできた曲なんです。その時のイメージが、完全に吉川さんのイメージになっていたんです」
そこで平野は佐藤とともに、大阪のなんばで吉川と会うことにした。全部で33曲からなる『邪宗門』は、この時点ではまだほとんど作られていない。しかしモノオペラという形式であることや楽器編成、全体の構成などの枠組みはほぼ固まっていた。吉川は2人から『邪宗門』についての説明を受けた。
「例えば童女みたいな、幼い子供が歌っている感じの曲もあるかもしれないし、歌うだけじゃなくて、シャーマンのような呪術的なところもあるかもしれないと言っていたような気がします。15の楽器が常に演奏しているのではなくて、曲によって色んな組み合わせのアンサンブルがあるという話を聞いて、それは面白いなと思いました。その時点ではまだ曲は全くできていないのに、面白いですよね。もう頭のどこかにはあったんでしょうね」

 吉川はこの時すでに、多くの現代作品の演奏経験があった。現代音楽に対して一種のアレルギー反応を示す演奏家もいる中で、平野が惚れた歌声の持ち主が、現代作品と積極的に関わっていたことは、幸運だったといえるだろう。
「管弦楽が15人と聞いた時点で、割と規模が大きい作品だろうなとは思いましたけど……こんなに大変なことになるとは思っていませんでした」
そういって吉川はふふ、と楽しげに笑う。高度なテクニックと幅広い音域を持つ、2時間の舞台を一人で歌い切ることは、並大抵の大変さではないはずだ。しかし彼女はそれを軽く笑い飛ばすことができる度胸と、明るいキャラクターを持っていた。これもまた、音色工房と邪宗門という作品にとって幸運なことだった。