2009-11-24 ビヨンド・ミュージック

僕がCDショップで働いていた時に発売された、ちょっとユニークなアルバムがある。
「プレイヤー・ピアノIV~限界のないピアノ~」というタイトルのCDだ。
プレイヤー・ピアノというのは、19世紀の終わりから20世紀始め頃に盛んに使われた、自動ピアノのこと。
自動ピアノは、ピアノの鍵盤の下にロール紙がセットされていて、それをゆっくり巻き取っていくことで、ロール紙に開けられた穴に合わせて自動的にピアノ演奏をするという仕組みになっている。
オルゴールのようにあらかじめ作っておいた曲を演奏させることもできるし、SPレコードが普及する以前には、一種の録音装置として自分の演奏を記録させておく用途にも使われていた。

「限界のないピアノ」と題されたCDには、1920年代に自動ピアノのために作られたオリジナル作品が集められている。
面白いことにこのCDに収められている作曲家は皆、自動ピアノを非人間的なマシンとして扱っている。
ひたすら正確で無機質な音の群れ、人間では演奏不可能な音数、複雑なリズム、そしてありえない超スピード!
どれも明らかにメカニカルな演奏で、そこに人間的な情緒は一切含まれていない。

「音楽は人から人へのコミュニケーションである」というのが、僕がずっと持ち続けている持論だ。
曲や演奏には、どこかに必ず人の存在があって欲しいと思っている。
例えば、ベートーヴェンのピアノソナタを、テンポも強弱も変えずに簡単なソフトで音符を入力しただけの無味乾燥な打ち込み音源なんて、一瞬聴いただけでうんざりする。
じゃあこの非人間的な自動ピアノの演奏は、どう説明できるだろうか?

率直に言って、僕はこのアルバムが好きだ。
一風変わった音楽を好む僕にとって、そのぶっ飛んだ音響はツボだった。
確かに聞き覚えのある普通のピアノの音のハズなのに、津波のように押し寄せてくる、非現実的な超高速パッセージの連続。
ずっと聴いていると、心のバランスを崩すんじゃないかとすら思えてくる。
実に痛快で素晴らしい変態音楽!

でも僕が嬉しがっていた理由は、音響的な面白さだけじゃないと気づいたのは、最近になってからだ。
僕はこのヘンな音楽を、誰かに聴かせたくてウズウズしていたのだ!
このCDの発売情報を最初に見たときに、すぐに何人かのお客様の顔を思い浮かべて「あの人だったら、きっと面白がってくれるに違いない」などと妄想した。
その瞬間、人の気配がなかったこの機械音楽は、僕が誰かを喜ばせるためのコミュニケーション・ツールになったのだった。

実際このCDが到着したとき、僕はすぐに周りのスタッフに聴かせて「何ですかこれは!」と気味悪がる様子を眺めてニヤニヤしていた。
もちろん試聴機にも入れてプッシュしたし、勢い余って店頭のBGMとして流したりもした。
(あまりに刺激が強すぎて、途中で中断せざるをえなかったが)
このCDが誰かの手元に届き、いつかふと「そういえばこのCD、えらく熱いコメントがついていたから、思わず買っちゃったんだっけ」と思い返してくれるならば、非人間的な音の塊は、僕の思いを運んでくれたことになる。

ある音楽を聴いて、それを楽しんでくれる人の顔を思い浮かべる。
厳密に言えばこれは、音楽そのものを楽しむ行為ではない。
音楽をネタにして、その向こうにいる人に思いを馳せているからだ。
でも、それはとても人間的な行為で、僕にとってその時間は幸せだった。
これが音楽の接し方として、正しいことなのかどうかはわからないけれど、僕はこんな楽しみ方も悪くないんじゃないかと思っている。