先日、天皇陛下の即位20周年をお祝いする式典が行なわれた。
式典の様子は各メディアによって大きく取り上げられたが、中でも人気パフォーマンスグループ、EXILEが奉納曲「太陽の国」を歌ったことは、特に大きな関心を集めた。
「太陽の国」は、オーケストラ演奏による第1楽章「太陽の種」、EXILEのダンスチームによる第2楽章「太陽の芽」、そしてEXILEの2人の男性ヴォーカルによる第3楽章「太陽の花」からなる、全部で3楽章からなる大曲だ。
少しだけテレビで歌っている姿を見たが、やはり普段のコンサートでのリラックスした様子とは違い、メンバーはみな緊張しているように見えた。
今は無事に大役を終えて、ホッとしているのではないだろうか。
いつか機会があれば、全楽章を見聞きしてみたいと思う。
今から10年前の天皇陛下即位10周年の式典では、ロックバンドX Japanのドラマー&ピアニストであるYOSHIKIが、自作のピアノ協奏曲「Anniversary」を演奏した。
ヴィジュアル系バンドの元祖であるX Japanや、その中心でありカリスマ的存在であるYOSHIKIについて語るスペースはないけれど、ライブでは必ず叙情的で美しいピアノを弾いていた彼に、クラシック・ピアニストとしての下地があることはよく知られていた。
一般的な知名度も音楽的能力も申し分がなく、奉納曲として格式ある楽曲を作ることができるミュージシャンとして、YOSHIKIは適任だと判断されたのだろう。
10年前にこの話が明らかになったとき、今回と同じように各メディアで大きな話題になったことを覚えている。
でも当時の僕にはあまり関心がなく、むしろ「規範から逸脱する性質を持つはずのロックのミュージシャンが、なぜ天皇をお祝いするのか」などと、やや白けた思いで見ていた。
結局、当日の模様をテレビで見ることもなかったけれど、今回10年ぶりに奉納曲の話題で盛り上がる中、ふとYOSHIKIのピアノ協奏曲がどんな曲だったのか聴いてみたくなった。
今は動画サイトが充実しているから、本当に便利だ。
youtubeで検索したら、当時の映像がすぐに見つかった。
10年を経て初めて見たが、曲も演奏も思いのほか良かった。
ピアノ協奏曲「Anniversary」は、ロックのスタイルを単にオーケストラに移しただけというものではなく、きちんとしたクラシック曲のたたずまいを持っていた。
奉納曲にふさわしい気品と厳かさがあり、YOSHIKIが持っているロマンティックなメロディセンスも、きちんと生かされている。
ピアニストとしても中々の腕前を披露していて、この曲の魅力とスケールの大きさを存分に引き出していた。
僕はYOSHIKIのミュージシャンとしての懐の深さに感服した。
しかし、コアなクラシックファンがこの曲を称賛しているという話は聞いたことがない。
本職のクラシック作曲家と比較してしまうと、全体の構成、オーケストレーション、ピアノの作曲技法など、突っ込みどころは山ほどあるのだろう。
どことなくラフマニノフ風な雰囲気を持っていることから、芸術としての目新しさがないと受け止められているのかもしれない。
だけどそんな状況を知ってなお、僕はこの曲の美しさを素直に楽しんでいる。
常に新しい芸術表現を探し求めている純粋なクラシック作曲家には、すでに過ぎ去ったロマン主義時代の作風の曲を、全くためらいもなく作ることはできないのではないだろうか。
つまり、このロマンティックに正直なピアノ協奏曲は、今のクラシック界の中だけでは生まれなかったかもしれない曲であり、それを作ったのはロックミュージシャンなのだ。
この異文化コミュニケーション、まったくもって素晴らしいじゃないか!
僕はジャズやロックといった他ジャンルのミュージシャンが、クラシックのスタイルで作った曲にすごく惹かれる。
普通のクラシックファンなら見向きもしないような曲に、夢中になってしまうところがあるのだ。
もちろん、全部が全部うまくいく曲ばかりではない。
どっちつかずの中途半端な曲に当たって、ガッカリすることだってある。
それでも、クラシックの世界だけでは考えられないような化学反応を目の当たりにするとワクワクする。
そしてまた、新しい化学反応を探したくなってしまう。
今回のエッセイでは、僕のそうした”異文化コミュニケーション愛”について書こうと思っていたけど、YOSHIKIの曲だけで終わってしまった。
機会があれば続きを書いてみたい。