2009-06-20 こっち側の世界

CDショップを辞めて1ヶ月半が経った。
たった1ヶ月半しか経ってないけど、もう遠い昔のことのようだ。
オリコンチャート、テレビで話題の楽曲、今月の注目新譜。
様々な情報と音楽が溢れる中で毎日バタバタと店内を動き回り、どうすればクラシックファンにCDショップに来てもらえるかを考え続けていたあの頃の感覚は、急速に色あせて失われていく。
今はどんなアルバムが出ていて何が売れているのか、こちらからアクセスしないと全くと言っていいほど情報は入ってこない。
あの頃は「こんな中途半場な情報だったら載せてもしょうがない」と思っていた雑誌の新譜CD紹介ページですら今はありがたい。
でもその情報でさえ、その気になってじっくりと目を通さないと、気づかずにスーッと通り過ぎていく。

クラシックのCDショップの店員と音楽家を比べると、感覚としてはCDショップの方が一般人に近いところにいると思う。
店頭で接するお客様は、たまに関係者がいるにしても、ほとんどは普通の人たちばかり。
店のスタッフにしても、みんな音楽が好きな普通の若者だった。
そこでは毎日必ず、クラシック界ではない普通の人たちとの接点があった。
そうした環境があったから、僕も一般人に近い感覚でものを見ることができていたと思っていた。

でもCDショップを辞めて感じるのは、その視線はやっぱりCD業界にどっぷり漬かったものだったってことだ。
CDショップの店員としてこだわっていた些細なことは実はどうでもよくて、普通に暮らしているとそんなことよりもまず、欲しい情報をどうやって手に入れればいいのかすらわからないんだから。
毎日24時間CDのことばかり考えていると、見えなくなるものがある。
CDショップを離れた今なら、フラットな目線で本当にいいプランを思いつけるような気がする。

音楽を楽しみにしてくれる人たちに音を届けるという点では、音楽マネジメントという新しい仕事はCDショップと同じだと思う。
ただしCDショップとは違って、これからは実際に演奏してもらう音楽家と接する機会が多くなる。
今は音楽マネジメント業務を立ち上げるための準備のために、連日のようにクラシック関係者や音楽家の人たちを訪ね歩いて話を聞かせてもらっているところだ。

実はそこで久しぶりに触れる音楽家の空気に、最初のうちはちょっとした違和感があった。
言葉で上手く説明できないけど、クラシックの音楽家たちは独特の雰囲気を持っている。
それはオーラと呼べるのかもしれないし、ひょっとしたら変わり者とも言うのかもしれないけど、とにかくいわゆる一般人とは違うノリだ。
語弊を恐れずに言うと、クラシックの音楽家たちは村社会とも呼べるような狭いコミュニティにいることが多い。
彼らが普段付き合うのは、ほとんどが同業者か自分を支援してくれるファンの人たちだ。
金銭感覚も時間の感覚も普通の仕事とは違う世界に生きる人たちが集まり、その中で音楽家特有の常識のようなものが作られていく。
そんな音楽家特有のオーラに、面食らったのだった。
とは言え、そこはかつて僕も演奏者としていた、懐かしい世界。
音楽家の人たちと話をしていくうちに、ああそうだったそうだったと思い出す。
今では自分が演奏家だった頃にタイムスリップして、年齢まで若返った気分になる。

久しぶりに体験する音楽家の世界は楽しい。
何しろみんなクラシックを愛しているし、専門用語が飛び交う深いクラシック談義も心ゆくまでできる。
でも、そんな濃い世界に出入りするようになってから、僕自身の一般人としての感覚は徐々に失われていっている気がしている。
音楽家に対してどこかヘンだと思っていた違和感も、今はもうない。
そして、そんな自分がちょっと怖い。
毎日お店で普通の人たちと接し、自分は一般人としての感覚を持っていると思っていたCDショップ時代ですら、実際にはそうではなかったのに、その感覚が失われている自覚があり、一般の人と接することがほとんどない今は、もっと視界が狭くなっているに違いない。

僕は音楽を愛する普通の人たちに、音楽を届けるのが楽しかった。
仕事は変わったけど、今もその気持ちに変わりはない。
音楽を愛する人たちが普段の暮らしの中で何を思っているのか、いつも思いを馳せていたい。
音楽家と一緒になって、僕が一般人としての感覚を忘れてしまってはダメだ。
今月は音楽家の人たちを訪ね歩く予定をビッシリ入れたけど、来月は仕事とは離れて友達とも会ってみようかな。