2009-05-09 僕の音楽履歴書(2)~カタログを枕に

特別編として、音楽履歴書と題して僕が今までたどってきた音楽遍歴をあらためて振り返っています。
その道のりを振り返ることで、音楽に関わる仕事の紹介にもなればと思っています。
今回は楽譜専門店員時代です。

楽譜専門店というのは、楽譜や音楽関係の書籍などを専門に扱っている店です。
楽譜も本の仲間なので、形としては書店の一種ということになります。
全国の書店は、取次(とりつぎ)と呼ばれる卸問屋のような役割の業者を通して注文するシステムになっています。
大小たくさんの取次業者がある中で、日本出版販売(日販)とトーハンという2つの会社が最大手で、この2つで全国の書店の70%以上をカバーしていると言われています。
しかし楽譜の場合は、それを専門に出している出版社が多いという事情もあり、僕が働いていていた店ではこの2つの取次は使わず、楽譜を扱っている専門的な取次のいくつかと契約していました。
そこは一般の書店とやや趣が異なる点と言えるかもしれません。

輸入楽譜についても卸問屋を使って仕入れていましたが、販売量の多いいくつかの大手出版社については、海外の出版社と直接取引をして仕入れていました。
僕も大手出版社のうちの何社かの仕入れを担当していました。
アメリカやドイツの出版社と直接やりとりをするので、カッコよく言えば海外貿易ということになるんでしょうが、そんなに偉そうなことをしていたわけじゃありません。
注文したい楽譜の出版番号を注文書に書いてFAXするだけなので、作業としては英語ができない僕にでもできる仕事でした。

とは言え、例えば入荷してきた楽譜が注文していたものと違っていたなど、イレギュラーなケースが発生すると大慌てです。
ビジネス英文レターの文例集が載っている本をいくつか見比べ、使えそうな文を必死に探し出して適当な単語を当てはめ、英語が出来る人なら一瞬で片付くような、たった3行程度の文章を書くのに半日かかったりしたものです。
たまにアメリカやドイツから出版社の営業の人があいさつにこられることもありましたが、その時も何を言っているのかわからないままとりあえずスマイル、雰囲気を読みつつ適当なタイミングでヤァ、ヤァと相槌をうちながら新刊の説明などを受けたものでした。
今考えたら大胆と言うか、よくやってたなぁ……。

輸入楽譜に書かれている曲名を調べて、日本語に直すという作業もやっていました。
輸入楽譜には商品管理のために、店独自で管理カードを作って楽譜につけていたのですが、そこにはなるべく日本語の曲名を書くようにしていました。
横文字でしか書かれていない輸入楽譜に日本語の曲名が書いてあるカードがついていれば、お客様にも便利だからです。
また、店の在庫リストを作成している時にも、出来る限り日本語に訳して表記しようと心がけていました。

ひとくちに輸入楽譜と言っても世界中で出版されている楽譜が集まっているので、調べるのは英語だけではありません。
クラシックの楽譜の場合は、英語の他にはドイツ語、フランス語、イタリア語あたりが中心になります。
英語もろくにできない僕はどの言葉も全くわからないのですが、それでも輸入楽譜を毎日扱っているうちに、有名な曲なら原語のタイトルを見ただけで、例えば表紙に「Pavane pour une infante defunte」というフランス語が書いてあれば、「亡き王女のためのパヴァーヌ」だなとわかるようになってくるものです。
(単に何の曲か判別できるというだけで、読めるようになるわけではありません)
どうしてもわからない曲については、1曲ずつ辞書をひきながら曲名を調べていきます。
ロシア語でしか書かれていない楽譜などは、休みの日に図書館で調べたりしました。
日本語題を調べることはお客様のためでもありましたが、僕自身の勉強として楽しんでいた部分もありました。

ある楽譜がどの出版社から出ているのかを調べることも、専門店としての大切な仕事でした。
今は輸入楽譜の情報も、ある程度はインターネットで簡単に手に入れることができるのでしょうが、当時は全部で10何巻もある百科事典のような総目録をはじめ、様々な本や各出版社のカタログなどをとっかえひっかえ取り出しながら調査していました。
一般の人たちでは調べることができないカタログを使いこなし、そうやって少しずつ経験を蓄積していくことが専門店の店員としての務めであり、専門店の役割だったと言えるでしょう。
ある時、ベテラン社員さんが「昔、社長から『カタログを枕にして寝ろ』と言われたもんだよ」という話をしてくださったことがありました。
楽譜専門店の店員にとってカタログはそれほど大切なものだという話だったのですが、その職人気質というかプロとしての心意気に感銘を受けたものです。
そして専門店の店員として、その気持ちはずっと忘れないようにしようと思ったものでした。

僕が楽譜専門店で働いていたのは10年以上前のことです。
それから10年の間にインターネットや携帯電話が爆発的に普及して、情報を享受する環境は大きく変化しました。
当時はひとつの情報を得るために今よりもうんと時間がかかったと思うけど、いくつものカタログを何度もひいて調べた分、しっかりと身についたということはあるんじゃないかと思っています。
毎日毎日カタログと辞書と楽譜に囲まれていた専門店での経験は、今もクラシックの道を歩み続けている僕の大きな土台になっています。