特別編として、音楽履歴書と題して僕が今までたどってきた音楽遍歴をあらためて振り返っています。
その道のりを振り返ることで、音楽に関わる仕事の紹介にもなればと思っています。
今回はホルン奏者時代です。
音大や芸大の学生は、在学中に既にオーケストラに所属しているような特別な才能の持ち主を除いて、大学を卒業した瞬間に「フリー・ミュージシャン」という肩書きを自称できることになっています。
と言っても、例えば放送局のアナウンサーが独立してフリーを名乗るのとは違い、どこかの団体に正式に雇用されるまでのつなぎの肩書きのようなニュアンスがあり、気分的には世間で言うところの「フリーター」に近い感覚すらありました。
もちろん全員がそういうわけではなく、毎日全国を飛び回っている売れっ子プレイヤーは別です。
あの人たちこそ、楽器ひとつで生計を立てている正真正銘のフリー・ミュージシャンです!
しかし就職活動など全くせず、先輩からの紹介でポツポツと演奏の仕事に呼んでもらっている程度で大学を卒業し、ボーリング場やレンタルビデオなど複数のアルバイトをこなしてやっと生活できていたようなレベルの僕は、まさしくフリーター系のホルン奏者でした。
そんなフリーター系の僕にも、継続的に呼んで使って下さる団体がありました。
大阪のあるプロオーケストラと、小中学校の音楽鑑賞会での演奏を専門としたアンサンブル団体です。
「芸」という字には”芸術”と”芸能”という2つのベクトルがあるというのが僕の持論です。
“芸術”は己の芸術をストイックに追及する道であり、それは作品に奉仕し自分の内面と向き合う世界。
“芸能”は、見物人のために行なう演芸の道で、美を追求するというよりも、目の前の人たちにいかに喜んでもらうかを考える世界。
僕は2つの団体から、それぞれに異なる「芸」を感じることができました。
プロオーケストラでは、”芸術”を体感することができました。
僕が呼んでもらっていたオーケストラの当時の常任指揮者は、芸術に妥協を許さない人で、練習ではたった1つの音のために何度もやり直しをするくらい厳しい指揮者でした。
それだけに本番での燃焼度、完成度はどの指揮者よりも高く、彼が得意としたチャイコフスキーやショスタコーヴィチといったロシア音楽、そしてブラームスやブルックナーといったドイツ音楽を、オーケストラの中で演奏者として感じることができたことは、僕の心の中の本当に大きな財産になっています。
もちろん今でもアマチュア・オーケストラで演奏すれば、名曲を感じることはできるかもしれません。
でも高度に磨き上げられた芸術的な高みの中に身を浸す、あの崇高な体験はできないでしょう。
僕がオーケストラで演奏しているときは、自分たちの奏でている音楽にほぼ100%意識が向いている感覚でした。
自分の体調管理はもちろん、温度や湿度によって微妙に変わる楽器の吹き心地、コンサートホールの残響など、最高の芸術を作りあげるために細かな点にも気を配りました。
極端に言えば聴いてくれる人が1,000人だろうが100人だろうが関係ないぐらい、音楽そのものに集中していたのです。
一方、音楽鑑賞会専門の団体は、僕にとっては”芸能”の比重が高い仕事でした。
ここでは芸術的であることよりも、目の前の子供たちが音楽から何かを感じて反応してくれることの方が、僕にとっては大切なことでした。
この団体では、例えば冬の日のまだ外が暗い朝6時に事務所に集合して、ドラムや楽器を詰め込んだワゴン車に演奏家もすし詰めになって同乗し、会場となる学校に着いたらすぐに自分たちでセッティングをし、暖房の入っていない冷たい体育館で震えながら演奏する、なんてことは当たり前にありました。
オーケストラの定期演奏会では絶対に考えられないことです。
でも僕は、そうした苦労をしてでも子供たちの喜ぶ姿が見られるのなら、全然構いませんでした。
もちろんその演奏がより芸術的であれば最高ですが、僕の意識は音楽よりもまず聴衆の方に向いていました。
そしてプロオーケストラのように音楽のために尽くすよりも、目の前の誰かのために演奏する方が僕の性格には合っていました。
あちこちの学校に出かけて、目を輝かせながら聴いてくれる子供たちを見るたびに、こんな生活がずっと続けられたらいいだろうなぁと思ってみたりしたものです。
最終的に僕は、素晴らしい曲を紹介するために自分で演奏しなくても、自分より上手い誰かの演奏を紹介できれば僕はそれで満足できるという境地に至りました。
そこでプロとしての演奏活動を辞め、紆余曲折を経てCDショップの店員になったのでした。
でも時々、オーケストラの一員としてコンサートホールのスポットライトを浴びる快感や、体育館のステージ上から子供たちの喜ぶ顔を眺める至福を、もう1度だけ感じてみたいと思うことがあります。
それがもう2度と体験できないこととわかっていても……。
僕はこれから演奏家を支援していく立場になるのですが、あの快感を知っている者だからこそできることがきっとあるんじゃないかと思っています。