「再演・邪宗門」 05-作曲家と演奏家の関係

 ヴァイオリニストの佐藤一紀は、平野にとって京都芸大の3つ上の先輩にあたる。2人の在学中に特に重要な接点はない。2001年に佐藤が初めて平野の曲を演奏したのを皮切りに、これまでに何度も協同を重ねてきた。今では音色工房という芸術家ユニットを主宰する2人だが、面白いことに決してお互いのことを仲良しだとは言わない。平野に2人の関係を問うと「今でも相当の緊張関係があるんです」と返ってくる。佐藤に聞いてみても、やはり答えは同じだ。
「どんな関係ですかと言われると、半分信頼もしているけど、半分コノヤローと思っているところが、多分お互いにあると思う。こんな曲書きやがって、演奏家は何でも弾けると思ってるだろみたいな、愛憎一体的なところはあります。彼も僕のことを100%信じているとは絶対に言わないと思いますよ。半分も信頼してないんじゃないかな。だからと言って嫌いじゃないし。
ただ僕は、人間関係ってそれがちょうどいいと思っているんですよ。特に音楽家同士の関係は、べったりというのは絶対ありえないと思う。ここは全然合わなかったり、ここはすごく合ったりみたいな方がいい。平野君とはずっとそれでうまくきている。趣味も全然違うし反対意見なんてしょっちゅうだけど、別にそれがお互い嫌なんじゃなくて、そういう見方もあるのかとか、すごく刺激しあえるのは事実だし。面白いよね。僕がたまに突拍子もない思いつきを言うことが、彼は結構好きみたいで、そのひらめきとか発想を買ってくれているところはあるのかもしれないね」

 考え方も立ち位置も違う2人の音楽家が呼応する中で、時として思いもよらないものが生まれてくる。『邪宗門』もそうした2人のやり取りをきっかけに生まれたものだ。佐藤の突拍子もない思いつきのことを、平野はこんな風に表現する。
「佐藤さんは触媒みたいなものかな。何かぽんと投げかけてきて、それがぽちゃんと落ちる。僕はそれに勝手に反応していく中で、自分の中の必然を見出していくんですね。だから自分の音楽世界が汚されたとか、侵入されたという感覚は一切ない。その関係性というのは、多分なかなかないことだろうと思うんです」
平野が「なかなかない」という作曲家と演奏家のこの関係について、佐藤も同じような感覚を持っている。
「僕が何かを出すときは、思いつきですごくプリミティブな状態で出すんです。曲の内容や音に関しては一切触れない。僕の最初の意見は四角いんだけど、平野君の中で畑が耕されて丸くなっていくというのかな。僕が何か養分を入れると、何日か経って肥料になってぽんと出てくる、そういう面白さがある。
『邪宗門』は2人がいなければ、絶対にこの形態にはならなかった。最初は僕の投げかけだけど、『邪宗門』という題材と、どの詩を選んでどういう順番でやるという構想は、もちろん平野君のアイデアだし。僕はこういう楽器編成を考えているんだけどどうだろうとか、お互いのアイデアを照らしあわせたところで彼がまた考えて。結局それは、僕は実際に作曲していないけど、ちょっと入っているわけじゃないですか。作曲家と演奏家とのこういう作業というのは、昔はあったかもしれないですけど、今は多分もう皆無じゃないですかね。まあ僕らみたいなやり方も、あっていいんじゃないのかな」

 佐藤一紀は、京都市立芸術大学のヴァイオリン専攻を1994年に卒業。作曲専攻の同級生との交流や現代音楽に詳しい先生の存在など、在学中は平野と出会う以前から、現代音楽と積極的に関わったり考えたりできる環境があった。大学卒業後はパリに渡って現代音楽の研鑽を積み、再び京都に戻って京都市立芸術大学の大学院を修了している。
2005年、指揮者の佐渡裕が芸術監督を務める、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団に創設メンバーとして参加。同楽団を卒業後は、長岡京室内アンサンブル、いずみシンフォニエッタ大阪のメンバーとして活動するほか、オーケストラや室内楽の演奏などで全国各地を飛び回っている。

 モノオペラ『邪宗門』を上演するにあたり、管弦楽のメンバーの人選と出演交渉は全て佐藤が行なった。邪宗門の初演が大きな反響を得たのは、作曲家の自主公演としては異例ともいえるほどの豪華な演奏者が参加したことも、おそらく無関係ではない。そしてそれは、作曲家と演奏家との共同プロジェクトだったからこそ実現したことだった。コンサートマスターを務めたヤンネ舘野をはじめ、佐藤がこれまでに出会い共演してきた優れた演奏家たちが、彼の呼びかけに応じて関西のみならず東京からも集まってきた。
費用のことを考慮するならば、関西在住の演奏家だけを集めたほうがよかったに違いない。そして佐藤ほどのキャリアであれば、関西の演奏家に声をかけただけでも、相当なレベルのオーケストラになったはずだ。しかし彼はそうしなかった。音楽に妥協しない人選からは、『邪宗門』に懸ける佐藤の決意が伝わってくる。
「僕たち演奏家は普段、依頼されて弾くという仕事が多いんですね。自分たちが発想したものが本当にオペラになって生まれるという現場にいられるのは、一生でそんなに体験できることじゃない。だから作曲家を通じてこういう夢みたいな話が実現されると、じゃあ僕は演奏家の立場でできることを最大限にやろうと思うわけです」
平野のこれまでの作曲活動のひとつの集大成といえる『邪宗門』は、同時に佐藤にとっても、彼がこれまでに築いてきた人脈と、音楽経験の集大成の場であった。