「再演・邪宗門」 02-平野一郎と西洋音楽を結ぶもの

モノオペラ「邪宗門」の世界を知るためには、その世界を作り出した作曲家、平野一郎の声に耳を傾けておく必要があるだろう。
平野は1974年、京都府宮津市で生まれた。京都市立芸術大学を卒業し、同大学院を修了。その間、ブレーメン芸術大学に留学していた時期もある。2001年に発表したヴァイオリン独奏曲「空野」を皮切りに、八岐大蛇(やまたのおろち)や平家物語など、日本の伝説や神話を題材にした世界を発表している。

作曲の勉強を始めたころの平野は、どっぷりと西洋音楽の世界に浸っていた。西洋音楽家を志す若者としては至極当然のことだ。そして芸術大学に進むことで、少なくとも4年間はその世界に浸り続けることができるはずだった。
しかし結果的に平野はそうならなかった。どっぷりと西洋音楽の世界に浸っていたが故に、日本人が西洋音楽をやることの意味という、避けて通ることのできないテーマにぶつかった、という言い方もできるかもしれない。
「あるときから、自分の表現の根っこにすごく関心が動き始めました。西洋音楽を深く知れば知るほど、西洋音楽がいかに土地と結びついているかということを、すごく痛感するようになったんです。田舎に育って共同体の生活というのがすごく濃厚だった自分にとって、西洋音楽は最初は個を守るためのものとして現れたと思うんです。だから、西洋音楽を聴いたり奏でたりということが、僕の中では自分だけの世界という部分に近かった。でも、そういうものであったはずの西洋音楽を突きつめていくと、実はその中でまた別の共同体に繋がっていて、それは自分のものとはちょっと違うかもしれないということに気付き始めたんです。
じゃあ自分にとって本当に根っこから来た音だという実感のある表現は、どこにあるんだろうということを思ったときに、どちらかというとずっと避けていた、自分の記憶の中に濃厚に残っている、生まれ故郷の集落の祭りの音楽、盆踊りの歌、そういうものだということに気付いたんです」
こうして大学生活が終わりに差し掛かっていた頃、平野は日本各地に伝承されている音楽を訪ね歩く、フィールドワークの旅をはじめた。

日本の民間伝承音楽は、明治期の西洋音楽の移入とともに社会の片隅に追いやられ、分断されたと平野は考えている。しかし祭りを丹念に調べていくうちに、かつて分断されたはずの音楽は、むしろ西洋音楽の本質とダイレクトに繋がっているという実感を持ったという。そして、分断されたものを結んでいきたいと考えるようになった。
「例えば、自分の演奏会にどんな人に来てほしいかと考えたときにまず思い浮かぶのは、これまで訪ね歩いてきた、漁師として生きていてお祭りをしているような人たち、あるいは神社の宮司さんや、お寺の住職なんです。実際に邪宗門でも、それまでの演奏会でも、そういう人たちがたくさん来てくれて、それぞれに喜んでくれたんですね。伝承されているものをやっている人たちにとって、西洋音楽が遠くないものとして聴こえているという実感がすごくあった。そういう輪を結んでいきたいと思っているんです」
分断された伝承音楽と西洋音楽を結ぶことは、すなわち日本人と西洋音楽を結ぶことにも繋がっていく。
「クラシック音楽という、明治になって西洋から渡ってきたものが根付いたというには、今でも僕はまだ足りないような気がしています。だけど放っておいたら根付くのかというと、そうじゃないと思うんですよね。結局、誰かがそういうことを考えて、何かの働きをしたことから歴史は変わっていくと思う。西洋音楽が自分たちの音楽になっていくための結び役というのを、自分ならできることかもしれないし、自分はそのために動いていたのかもしれないということに気づいたんです」

ピアニストの堤聡子は、平野とは京都芸大の同級生という間柄だ。音色工房のメンバーの中では、平野との付き合いは最も長い。堤は大学時代に平野と交わしたこんなやり取りを思い出すことができる。そこには、西洋音楽の世界で自分の居場所を探そうとしていた、若き日の平野の姿がある。
「高校生の頃、いとこのお兄さんから何気なく『サトちゃんは日本人でありながら西洋音楽をやることに違和感はないの?』って聞かれたんです。それって大問題じゃないですか。でも受験のためにレッスンで言われたことに一喜一憂しかしてなかった自分には、当然その場で納得できる答えを言えなくて、ずっとお腹の中に持ち続けたわけです。
それで大学に入って、何人かの友達に聞いてみたんですよ。でも演奏家はそれについて、どうしてもお茶を濁した感じになってしまう。そこに真正面から答えようと努力していたのが平野君だったんです。そのときはよくわかんないことを言っていたけど、でもそれは自分にとって、当時の平野君に対する認識の柱になっていました。この人はそれを真正面に受け止めて、何か答えを出そうとしている人なんだって」
日本人が西洋音楽をやる意味を真正面から受け止め、自分の表現の根っこを探し求めてきた平野の姿を知っているからこそ、堤はこんな夢を託すことができる。
「例えば、ハンガリーのピアニストにはバルトークがいていいなって思うんです。これは自分たちの国の、ある時代の空気を内包している自分たちの音楽なんだ、だから自分たちはこれを弾く意味があるんだと信じることができる。しかも革命的でありながら恐ろしく高度に洗練されてもいて、ベートーヴェンみたいな古典にも見劣りしない普遍性を備えているんですね。だからこそ、他の地域に出て行ってそれを堂々と演奏することができる。日本にも、自分の国のある種のメンタリティーを代表する、そういう作品があったらいいのにと思うんです。それって演奏家の夢じゃないですか。それを一緒にできるのは平野君かな」