2008-08-22 クラシックへの階段

クラシックをもっと気軽に聴いて欲しい。
これは普段ステージで演奏している音楽家がそう思うのと同じように、僕も常々思っていることです。
今僕がCDショップにいるのは、演奏家よりももっと一般の人たちに近い場所からクラシックのすそ野を広げていきたいからだ、と言っても決して言いすぎではありません。

クラシックCD業界では、数年前に「ベスクラブーム」と呼べる現象が起こりました。
「ベスト・クラシック100」(通称ベスクラ)という6枚組のCDが大ヒットしたのです。
ベスクラでは「クラシックは時間が長いからちょっと……」という心理的なカベを取り除くため、複数の楽章で構成されている曲はその中の1つの楽章だけが入っており、また長い曲はフェードイン・フェードアウトを使って5~6分程度で収まるように編集されています。
何より6枚組で100曲入ったCDが3,000円という安さが受け、普段クラシックを聴かない層も巻き込んで大ヒットしました。
その後、ベスクラはシリーズ化され続編が立て続けに登場、また各メーカーからも同様のオムニバスCDが次々に発売され、そのどれもがよく売れました。

でもじゃあその後、自発的にクラシックのコンサートに行ったり、気になるクラシックのCDを買ったりする新しいファンが増えたかと言うと、売り場に立っている実感としては、そうでもないのかなという気がしています。
ベスクラで聴いてみて気に入った交響曲を、今度は全楽章聴いてみようとか、あの曲をフェードアウトなしで最後まで聴いてみたいとか、そうやって少しずつクラシックとの距離を縮めていってくれることが僕らの願いなのですが、実際にはダイジェスト盤とも言えるベスクラで満足している人が多いようです。
どうしたら次にフルコースを楽しんでもらえるだろう。
これはCDショップの店員にとっての永遠の宿題なのかもしれません。

僕は常々こんな風に思っています。
本当にクラシックファンを増やそうと思ったら、ビギナーと同じ場所に降りて行くんじゃなくて、そこよりもちょっとだけ高い位置から手を差し出さなきゃいけない。
そして今よりもちょっとだけ高い場所の景色を見せてあげることが必要なんだと。
気軽に聴いてもいいと言っても、オーケストラのコンサートではリズムに合わせて拳を振り上げたり、トランペットがカッコいいソロを吹いた後に歓声をあげたりできるわけじゃありません。
クラシックにはクラシックなりの楽しみ方のスタイルがあります。
拳を振り上げる代わりに、リラックスして体を静かに揺らしながら音楽を楽しむためには、そこに至るまでの階段をいくつか作って導いてあげることが必要だと思っています。

ベスクラブームが少し落ち着いたころ、僕は当時働いていた店で「次の一歩」と題した企画コーナーを作りました。
ベスクラに入っている曲の中から人気の高い曲を20曲程度選び、それぞれの曲がフルサイズで聴けるCDをそろえてみたのです。
ベスクラを6枚組3,000円という価格で買った人たちに割高感を与えないように、それぞれのCDは全て1枚1,000円で買える廉価盤で集めました。
いわば幕の内弁当からフルコース料理に進むための道筋をつけてあげるという意図を持ったコーナーは、結果的に週に何枚かがポツポツと売れていく程度でしたが、それでも僕が作った階段を登ってくれる人がいたということは、大いに勇気づけられました。

演奏家自身が「気軽に聴いて下さい」と声をかけることも、クラシックをより身近なものにするひとつの方法です。
でも本当はクラシックへの階段は、演奏家自身だけではなく、クラシックに関わる全ての人たちの手で作っていかなきゃいけないものだろうと思っています。
クラシックに興味が出てきた人たちが、目の前にある段差の低い階段をトントンと登っていくうちに、いつの間にかクラシックを深く楽しめるようになっていた。
そんな環境を作ることができたら最高だなぁ。
クラシックへの階段を作っていくことは、この世界で生きて行くと決めた僕に与えられた大きな使命でもあると思っています。