【クラウドファンディング30日目】演奏を残したいという衝動

最後の投稿は、演奏を残したいという衝動について。ミタホールでライブをしてくれたことが縁で応援している、シンガーソングライターの吉川MANAさんに「まなさんの歌をスタジオでレコーディングさせてほしい」とお願いしたのは、彼女がしばらくライブ活動を休止すると発表した直後でした。突然の申し出に彼女はびっくりしていました。当時彼女が出していた音源は、駆け出しの頃にプロデューサーに言われるがままに録ったものと、自宅でレコーダーで録ったデモテープのような音質のものだけでした。

僕は、まなさんの魅力を正しく伝えるためにはスタジオでちゃんと録るべきだ、待ってくれるファンに前向きな休止なんだと安心してもらうために、本気の音源で決意表明しておくべきだ、今このタイミングでしか歌えない感情が込められた新曲を、今だからこそ記録しておくべきだ、などと時間をかけて熱弁し、レコーディングの約束を取り付けました。

もし、僕が何のアクションも起こさないままでまなさんが休止していたら、きっと後で後悔したんだと思います。ポップスボーカルのディレクションなんてやったことがなかったのに、何が僕をそこまで突き動かしていたのか、きちんと説明するのは難しいです。今回の自分のレコーディングも、なぜ皆様にご支援を呼びかけてまで作りたいのか、あらためてきちんと説明せよと言われると難しいです。でもやっぱり、今このタイミングでアクションを起こさなかったら、ホルンが演奏できなくなった歳になって、後悔するんだろうなという気がしています。

クラウドファンディングは今日で終了です。たくさんの皆様のご支援及びウオッチありがとうございました!発売の準備が整ったときにはまたご案内させていただきたいと思います。

【クラウドファンディング29日目】音源をどういう形で残すか

今回のレコーディング音源をどういう形態にするか、まだ考えあぐねています。まずCDにするかCD-Rにするかという選択。そしてケースに入った通常のCDにするか、小冊子を作ってそれにCDを付属させる「CD付き小冊子」という形にするか。割と悩ましいです。

CDかCD-Rかという選択ですが、皆さんはCDそのものを再生機に入れて聴くという機会がどれくらいあるんでしょう?一度デジタルプレーヤーに取り込んだら、もうCDは開けないという感じなら、高いお金を払ってCDをプレスしなくても、CD-Rでもいいのかなという気もしています。寿命はCDの方が長いと言われていますが、それより先に、円盤を物理的にぶん回す再生方法自体が先になくなるだろうと思っているので、そこまで問題視してません。音質の問題もありますが、音楽に限らず、人はそこまで上質のものは求めていないんじゃないか、というのが持論です。DVDよりブルーレイの方が画質がいいと言われても、いやDVDで充分だよって思うし、テレビよりも遥かに画質が劣るYoutubeでも充分楽しいし、デジカメが普及してからの雑誌の表紙とか、昔では考えられなかったギザギザで荒い写真が使われたりしてるけど、それほど気にしなくなったし、音楽だってCDで聴いてもmp3のデータで聴いてもそれほど音質を意識しない人が多い気がするし。

ということで、CDをプレスしてブックレット作ってケースに入れてというお金を使うなら、それと同じか安い金額で、今まで書いたようなこれまでの経緯とか詳しいプロフィールとか思い入れたっぷりの曲目解説とかを書いた小冊子を作って、それにCD-Rをつけるという形にしてもいいのかなと思っています。レコーディングが全て終わるのは7月ぐらいの予定なので、もう少し悩んでみます。

【クラウドファンディング28日目】僕の初めてのレコーディング体験

僕が初めてレコーディングというものを経験したのは、2011年に東日本大震災の復興支援アルバムを制作したときでした。ジャズとポップスのミュージシャンに声をかけて、それぞれのオリジナル曲の演奏音源を提供してもらいました。各自でレコーディングした音源を送ってもらったのですが、半分ぐらいのミュージシャンは僕もレコーディングに立ち会いました。一応僕がプロデューサー的な立場だったんですが、何しろ初めてのことなので全くの手探り状態、経験豊富なレコーディングエンジニアさんにお任せした部分も多く、半分は見学者みたいな感じでした。

CDを作るという作業は、レコーディングだけではありません。ジャケットの写真、レーベルのロゴはそれぞれ得意な友達にお願いし、デザインはプロのデザイナーの義姉にお願いしました。またミュージシャンの契約に詳しい行政書士さんにお願いして、原盤権に関する契約書を作っていただきました。報道関係で働いていた友達にはプレスリリースの書き方を添削してもらいました。そのおかげで、発売時に毎日新聞に取材していただけました。そして、翌年にジャズ雑誌「ジャズ批評」のジャズオーディオ・ディスク大賞の特別賞に選ばれたときにもプレスリリースを出し、神戸新聞に大きく取り上げていただきました。何もかもが初めてのことだらけだったんですが、とてもいい経験をさせていただきました。

(と、ここで終われば何となくいい話で終われるんですが、結局アルバムは400枚ぐらい売ったぐらいで止まってしまったので、まだ家に山ほど箱があります。かかった費用は回収した上で4年ぐらいは被災地に寄付を続けたので、チャリティーとしての最低限の役割は果たせたとは思いますが、全然納得はしていません。参加グループが立て続けてに解散したり活動休止したりしたので、今では少し売りにくくなったのは事実ですが、消費期限があるような流行りものにはしない、非日常的なイベントではなく日常の活動で寄付できるものにする、という方針で作ったCDなので、またそのうち宣伝したいと思います)

【クラウドファンディング27日目】演奏は人の営みである

かつて僕は、自分の演奏を聴いてもらうことと、自分がいいと思った演奏を人に薦めることとでは、モチベーションが同じだということに気づいて、自分で演奏することを辞めました。そんな僕に、CDショップはまさにピッタリの職場でした。僕は今でもCDショップのバイヤーという仕事をしていたことに誇りを持っています。でもそんなCDショップにも、ちょっとした不満もありました。例えば「仔犬のワルツください、演奏は誰でもいいので」みたいなケース。そのCDで演奏している人が、生きている人なのかもう死んでいるのか、男か女かも知らずに買われることも多々あるということ。作曲家に比べて演奏家の存在が薄いということに、少しずつ違和感を覚えていました。

僕が働いていた梅田のJEUGIAは店内にピアノが常設されたステージがあり、プロアマ問わず色んな人が演奏をしていました。その様子を連日見ているうちに、また別の違和感も湧いてきました。過去の超一流の演奏ばかりが並ぶCDショップの店内で、演奏レベルでは敵うはずがないそこそこの人たちが弾いているのを、みんな笑顔で聴いている。これって一体どういうことなんだろう?って。そこで僕がたどり着いた答えは「演奏は人の営みである」ということでした。どんな演奏をしたかも重要だけど、誰が演奏しているのかが大事なんだと。僕はもっと演奏家にフォーカスした仕事をしたいと思うようになり、10年前に大阪音大の演奏派遣の事務所に転職しました。

クラシックの音楽美学が世界共通のものだとして、誰もが目指している頂点を世界一流と呼ぶのならば、僕が今作っている音源のホルンはもちろん三流以下です。それでもクラウドファンディングでご支援してくださったり、「買います!」と言ってくださったりするのは何故なのか?あと3日だけ僕の営みを語りたいと思います。

【クラウドファンディング26日目】遺言のつもりで作ってます

大型連休前で見ている人も少ないだろうということで、しれっと重たいことを書きますが、僕はおそらく死後の世界はないと思っています。いや、前世や来世という輪廻転生の概念はあるかもしれないと思っているけど、現世で持っている意識がリセットされるのなら、今の僕にとっては意味がないなと思ってしまいます。今の自分がコントロールできるうちに自分のけじめをつけて、そのリアクションを自分で知りたい。だから僕は生前葬に憧れています。死んだ後に悲しまれても僕にとっては意味がないので、生きているうちにやってしまいたいんです(あくまで僕にとってです。葬式は死んだ人のためではなく、残された家族がけじめをつけるためにやるものだと思っています)。

今作っている音源は、僕のホルン吹きとしての遺言のつもりです。もともとホルン吹きとしての未練はもうとっくになかったけど、これが無事に完成したら本当に思い残すことはありません。手にとってもらえた人に「いい曲ですね」と言っていただければ充分嬉しいし、その上で、もし僕の記事を読んで「こんな音楽との付き合い方もあるんだな、俺もレコーディングしてみようかな」と思ってくれたり、音源を聴いて「楽な音域で吹ける曲を選べば、私にもまだまだ音楽を楽しめるかも」と思ってくれたりしたら、更に嬉しいなと思います。

なお、あらかじめ表明しておきますが、僕は「遺言は常にアップデートされるもの」と考えています。今のところは最初で最後の作品だと思っていますが、もし第二弾、第三弾と続いても、気が変わったわけではなく、それは遺言が更新されたということです。