音楽家もすなるブログといふものを、黒子もしてみむとてするなり

ずーっと考えてたけど、どうしても明確なビジョンが思い浮かばなかったことを、ようやく試してみようという気になりました。ブログでもはじめてみようかと思っています。

僕のスタンスは昔からずっと変わってなくて、クラシックという山の頂上を目指すことよりも、すそ野を広げたいと思ってる人です。上よりも下、表よりも裏。頂上を目指すのは、その道の歩き方を知っている人に任せればいい。そのかわり僕は、すそ野でクラシック文化を広げていくサポートがしたい。いまだに有言不実行のままなのが恥ずかしいですが、ずっと思っていることです。

今から10年ほど前、僕がCDショップで働いてるときに、あるコラムサイトでクラシックコラムを連載していました。毎週1本、2年間休まず続けて100回を超える連載になりました。そこではクラシックに詳しい人ではなく、あまりになじみがない人たちに読んでもらうことを意識しました。そして音楽そのものの説明ではなく、音楽を取り巻く「人」にフォーカスすることを心がけました。人が興味を持つのは「人」だろうと思っているからです。その試みの成果はある程度あったという手応えはありました。でも多分これが完成形ではない、何かが足りないという思いもありました。例えば、このコラムをまとめて1冊の本にしたとして、その本を誰が手にとってくれるだろうと考えたとき、クラシックになじみがない人が積極的に読んでくれるというイメージがどうしてもできなかったからです。

CDショップを辞めて、僕が若い演奏家の人たちと関わるようになってから、ひとりの演奏家を好きになるという道筋にはどんなものがあるんだろう、というのをよく考えます。もちろん誰が聴いてもめちゃくちゃ上手い!とかいうのは演奏家の理想として当然あるとしても、もっと色んなパターンがあってもいいんだろうなと思うんです。

そのひとつの可能性を模索したのが、自分のホームページでやっていたインタビューシリーズです。出発点は「現状でどうせ友人知人にしかチケットが売れないんだったら、それを嘆くんじゃなくて擬似的に友人知人を作ってしまえばいい」というもので、ロックバンドの音楽雑誌みたいに、インタビューからその人そのものに興味を持ってもらい、そこから音楽を好きになってもらうという方法論です。理屈としては間違っていないはずだと今でも思ってるんですが、特に大きな成果があったわけでもなく、自分のサイトの力不足が一番の原因にしろ、でもこれはまだ完成形ではないんだろうなという思いもありました。

僕が関わる演奏家には機会があるごとに「コンサートのMCは単なる解説じゃなくて、一度自分の感情のフィルターを通して話した方がいい、他に変わりがいる存在から抜け出して、自分自身を好きになってもらわないといけない」と言ってきました。で、タイトルの一文に戻るわけですが、じゃあそれを僕自身で試してみたらどうなるだろう、という興味がわいてきたのです。だからこの思いを忘れないうちに書き留めてます。

率直に言って、僕がどれだけのウリを持っていて、どれだけ他の人と違うことをしているかというのは、自分ではわからないものです。でもこの数年だけでも色々なことを体験させてもらって、ようやく僕にも何かを語れるくらいの経験値は溜まってきたのかな、と思えるようにもなってきました。そしてようやくこれだと思える明確なビジョンも見えてきました。クラシック曲の話なら、レコード愛好家のブログやオーケストラの団員のブログでも読めるかもしれないけど、音楽を影で支える人という、ちょっと変わったフィルターを通すことで、「人」に興味を持った新しい人たちに音楽の入り口を示せるかもしれない。そんなことを思ってます。

とりあえず今日は決意表明だけ。