2008-06-27 芸術的ではない1枚のアルバムの話

今回はある1枚のアルバムの話をしたいと思います。
いわゆるクラシック的な芸術性は全く持っていないアルバムなのですが、僕にとっては忘れることのできない1枚です。

それは2年前のこと。
大阪の店で輸入盤の新譜の仕入れを担当していた僕は、何か面白いCDはないかと毎日新譜案内に目を光らせていました。
ある日「サクソフォン奏者、ブー・エーゲビェルが聖エシル教会の委嘱により作曲したジャズ、ポップス感覚のミサ曲」というたった一行の説明がつけられたアルバムを見つけました。
ブー・エーゲビェルという人も、演奏者も全く聞いた事のない名前です。
スウェーデンのマイナー・レーベルから発売される、ゲテモノ臭さすら漂うこのアルバム、普通の感覚なら注文せずにパスすると思うのですが、僕は「ポップス感覚のミサ曲」という言葉に妙に惹かれてしまいました。
こういう新しい試みを楽しんでくれる人がきっと何人かはいるはずと考えて、思い切って試聴展開用に数枚注文することにしました。

CDの新譜、特に輸入盤の仕入れというのは、かなりバクチ的な要素があります。
FAXやメールで各輸入代理店から送られてくる新譜案内を見て注文をするのですが、サンプル盤などで事前に音を聴くことができるケースはまれで、頼りになるのは案内に書かれている文章のみです。
注目の新譜には、詳細な情報や気合が入ったコメントが書かれているのですが、それ以外の小さな新譜は、曲名と演奏者しか書かれていないものもたくさんあります。
知っている作曲家や演奏者の場合は、大体の傾向がわかっているのである程度の予想は付くものの、知らない作曲家や知らない演奏家の場合は、手がかりが全くないのでほとんど勘に頼ることになります。

しかし、こうした小さなレーベルの面白そうなアイテムをいかにセレクトして仕入れていくかがお店の特色となって現れるので、わからないからと言って単純に無視するわけにはいきません。
僕は当時、いかに他の人が取り上げないような面白い新譜を発掘・紹介するかということに情熱を傾けていたので、情報の少ないアイテムであればあるほど、その行間から何かを読み取ろうとして、毎日必死に新譜案内とにらめっこしていました。
ミサ曲もそうして探し当てた、掘り出し物の1枚でした。

そのミサ曲がいよいよお店に到着し、さっそくサンプル用に1枚開封して聴いてみました。
しかし始まった瞬間、僕は「やってしまった!」と頭を抱えてしまいました。
聴こえてきた合唱は、明らかに音楽的な訓練を受けていない、合唱をするのは初めてとすら思える素人の歌声だったからです。
乏しい声質の男性、高音が安定しない女性、メロディラインを取れない子供たち。
はっきりいってドヘタでした。
曲自体はポップス調で耳馴染みがいいメロディ曲で、それなりに面白いものではあったのですが、いかんせん演奏が下手過ぎて、とてもお薦めできるものではありません。
そもそも、どうしてこんな演奏がCDになったんだろう。
僕は虚ろな目で、たった一行しか書かれていない紹介文をもう一度眺めてみました。

そこには「聖エシル教会の委嘱により作曲した」ミサ曲と書かれていました。
ミサというのはキリスト教の教会で行なわれる典礼のことです。
その典礼文に曲をつけたものがミサ曲で、典礼文を読み上げる代わりに歌を歌って儀式を進行させるのです。
僕はその様子を思い浮かべてみました。
聖エシル教会がどこにあるのか知らないけど、きっと地元の信者たちが集まる場所なのでしょう。
信者は自分たちの教会のために作曲してもらった、この耳馴染みのいい新しいミサ曲のことをきっと喜んだに違いありません。
そして信者やその家族たちは、この自分たちのミサを歌うために教会に集まって練習を積み、実際の典礼で歌ったことでしょう。
その姿を想像してみて、僕は気づきました。
ああそうか、この素人丸出しの合唱こそ、この曲のリアルな姿なんだと。

しかしCDで実際に歌っている合唱団は、聖エシル教会ではない別の教会の合唱団でした。
この2つの教会に何らかの関連があるのかどうかは、僕にはわかりません。
つまりこれは全て僕の妄想であって、本当は全く見当外れなのかもしれないのです。
でもこのCDを、とある国のとある町で起こった小さなドキュメントを見ているような感覚で聴き直したとき、芸術的であるかどうかとは全く別の、新しい価値が生まれたのです。
僕は演奏がドヘタであるということを明記した上で、そのことを心を込めてコメントカードに書きました。
そして最後にこう結びました。

僕は考えすぎでしょうか?多分そうでしょう。でもこういう聴き方があってもいいじゃないですか。僕は音楽は「人の営み」だと思っています。いや、そうあって欲しいと願っています。音楽に携わった全ての人々の思いを想像しながら聴くのが好きなんです。このアルバムを聴くと、芸術とか鑑賞とかいう次元を超えて、とある国のとある町で起こった小さなドキュメントを見ているような、不思議な気持ちになるのです。

わずか数人ではありましたが、コメントカードと共に置いていたそのCDを買って下さった人がいました。
僕がコメントに込めた意味を理解した上で買ってくれたことは、本当にありがたく嬉しいことでしたが、それと同時に、何か騙してしまったような気もして複雑な気分でした。
「この素人丸出しの下手な合唱こそ、この曲のリアルな姿なんだ」と僕が思い至ったことは本当です。
でももし事前に音を聴いていたら、絶対に注文はしなかったと思います。
これを「新しい価値を見つけて紹介することができた」と取るか「無理やりヘ理屈をつけて売りつけた」と取るかは微妙で、僕の中ではいまだに判断ができないでいます。

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