2009-03-21 オマケの楽しみ

先日、妻がデジタルプレイヤー(って言うんですか?ipodみたいなヤツです)を買ってきました。
愛用していたMDプレイヤーの調子が悪くなったので、ヨドバシカメラに新しいMDプレイヤーを買いに行ったものの、並んでいるのはipodをはじめとするデジタルプレイヤーばかりで、もうMDプレイヤーを売っているコーナーはなかったんだそうです。
時代の流れって早いですね……。
買ってきたばかりのデジタルプレイヤーを僕も触らせてもらったんですが、本体は想像以上に薄くて小さいし、パソコンに取り込んだCDを一瞬で本体にコピーできて、操作も早くて簡単だしなるほどこれは便利かもと思いました。

音楽配信によって1曲単位でバラ売りされるようになってくると、将来はアルバムという概念がなくなるんじゃないかと言われることがあります。
今デジタルプレイヤーで音楽を楽しんでいる人たちは、配信よりもCDをそのまま取り込むケースが多いようで、まだまだアルバムという概念は残っているようです。
しかしアルバム単位で曲を取り込んでも、ランダムに再生して楽しむ人も多いようですし、実際の感覚としてはやはり、アルバムという枠組みは徐々になくなりつつあるのかもしれません。

クラシックの場合はそもそも、最初からアルバムという概念はあまり強くありません。
例えばレコード時代には「ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』+シューベルトの交響曲第8番『未完成』」という組み合わせで発売されていたものが、CDになってからは「ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』+第7番」という組み合わせになるなど、再発売される時に組み合わせが変わることは日常茶飯事です。
強いて言えば交響曲や組曲など、複数の楽章で構成されている曲自体が、コンセプト・アルバムの要素を持っていると言えるでしょう。
音楽配信による1曲単位のバラ売り販売や、アルバムという単位が希薄になりつつあるデジタルプレイヤーでの楽しみ方は、クラシックよりもポップスの世界で急激に広まっていきましたが、実はもともとアルバムという概念があまりないクラシックの方が、デジタルプレイヤーとの相性がいいのかもしれないと思ったりします。

レコードやCDには片面40分とかトータルで80分などと最大の収録時間が決まっています。
その枠組みに合わせて収録曲が決められているわけですが、クラシックでメインとなる曲は30~40分程度のものが多いので、現在のCDの容量を考えると、メインの1曲だけでは時間が余ってもったいないというケースが出てきます。
そのため、40分ぐらいの大曲の後に10分程度の小曲がオマケのように収録されることが、クラシックのアルバムではよくあります。
そうしたオマケはCDを買う側からすると特に期待しているわけではないので、それがお目当てのメイン曲よりも感動的だったりすると、その喜びは何倍も大きくなります。

僕の中で今までで最高のオマケは、チェコ・フィルハーモニーが演奏しているラヴェルの管弦楽曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。
これはロシアの作曲家、ムソルスグキーの「展覧会の絵」という30分ほどの組曲がメインで、そのオマケにフランスの作曲家ラヴェルの「ボレロ」と「亡き王女のためのパヴァーヌ」という、有名だけどメインを張るには時間が短い2曲が収録されているCDでした。
演奏しているオーケストラは3曲ともチェコ・フィルではあるものの、「展覧会の絵」の指揮者はチェコ人のアンチェルなのに対して、「ボレロ」の指揮者はフランス人のボド、「亡き王女のためのパヴァーヌ」はイタリア人のペドロッティと見事にバラバラで、余白を使ってオマケを詰めました的なカップリングのアルバムでした。

僕はこのアルバムを、メイン曲である「展覧会の絵」目当てで買ったのですが、それよりもオマケに入っていた「亡き王女のためのパヴァーヌ」の演奏に強く心惹かれました。
1960年代のチェコ・フィル特有の深いビブラートがかかった魅惑的な管楽器の音色、グラマーな女性を思わせるような妖艶な演奏(あくまで僕の主観です)、とにかく僕はこの演奏を聴いて以来、「亡き王女のためのパヴァーヌ」は他の演奏では受け付けないほどにハマってしまったのです。
これは僕の中でも特別な出会いでしたが、他にも、お目当てで買った曲が期待はずれでガッカリだったのに、オマケに入っていた曲が素晴らしくて手放せないアルバムになったことなど、ある程度の年月を費やしてきたクラシックファンならば、この手の話はたくさん持っているんじゃないでしょうか。

音楽を手に入れる手段がCDのようなパッケージソフトから音楽配信へと向かっているのは、時代の流れとして逆らえないと思います。
そして音楽配信システムそのものは、これからも益々発達していって、自分が欲しい曲がさらに効率的に手に入れられるようになるのでしょう。
でもそれによって、自分が予期しなかった「オマケ」の1曲との出会いが楽しめなくなるとしたらちょっと寂しいなぁと思ってみたりするのです。