今、僕の手元に1枚のCDがあります。
ヴァイオリン奏者、鈴木理恵子さんの「フロム・ジ・オリエント」というアルバムです。
2002年に発売されたこのアルバムは、ややマニアックな内容だったこともあり、当時はほとんど売れませんでした。
でも、それは内容が悪かったのではなくて、僕がクラシックファンに上手く届けることができなかったからだという思いが、いつまでも残っています。
「フロム・ジ・オリエント」は日本、中国、韓国、モンゴル、インドなどアジアの国々をモチーフとした、現代の作曲家によるヴァイオリン作品集です。
つかみどころのない、独特のアジアの民族音楽的雰囲気と、少しとっつきにくい現代音楽の要素が入り混じった内容で、クラシックとしては異色の作品でした。
もちろんそれはそれで、ツウ好みのアルバムとしてそういう音楽を好む人が買ってくれればそれでいいし、僕もそれを無理やり万人にお勧めしたりはしません。
でも、幸か不幸かそんなアルバムの中に1曲だけ、ツウだけが聴くのはもったいない、きっとたくさんの人に気に入ってもらえるだろう曲があったのです。
それは「アダイ・アダイ~ブルネイの古謡による」という曲で、NHK『映像の世紀』のメインテーマ「パリは燃えているか」などの映像音楽で有名な作曲家、加古隆さんの作品でした。
タイトルの通りボルネオ島のブルネイに伝わる古い歌に基づく曲で、哀愁を帯びた素朴なメロディがヴァイオリンとピアノによって素直に紡がれていきます。
凝ったことは何もせず、簡単な前奏のあと8小節のメロディが形を変えながら数回くり返されるだけの、5分ほどのごくシンプルな曲なのですが、僕は初めて聴いたときその美しさに思わず息をのみました。
他の曲は決して聴きやすいとは言えないアルバムの中で、そのシンプルなメロディは余計に際立っていました。
実はこの曲は、加古隆さんが1999年に発表した自作自演のアルバム「静かな時間」にも収録されています。
単に「アダイ・アダイ」を聴いてほしいだけだったら自作自演を買ってもらえばいいわけで、わざわざ小難しいアルバムを選んで紹介する必要はありません。
しかし「静かな時間」に収められているこの曲は、ヴァイオリンではなく中国の楽器、二胡で演奏されていました。
民族的なこぶしを効かせた表情豊かな二胡の演奏は、それはそれで魅力的なものですが、僕はそれよりも、鈴木さんの凛としたすがすがしいヴァイオリンと、硬質でクリスタルな高橋悠治さんのピアノという組み合わせ、そしてヒーリング・ミュージックや民族音楽としてではなく、正統なクラシック作品として正面からアプローチした演奏に、より大きな魅力を感じていました。
CDショップの推薦コメントには「この曲だけで買う価値あり!」といった常套句がありますが、僕にとって鈴木さんの演奏する「アダイ・アダイ」は、まさにその言葉に当てはまるものです。
しかしポップスとは違って単純に心地いい曲ばかりではないクラシックの中の、55分のうちのたった5分です。
せめて「アダイ・アダイ」が10分程度の曲ならば、あるいは他の曲がもう少し聴きやすい曲だったら「この曲だけで!」と言えたと思うのですが、この5分のためだけにツウ向きのアルバムを買って満足してもらえる自信と勇気は、当時の僕にはありませんでした。
結局「きっとみんなに気に入ってもらえるはずなのに……」という思いを残したまま、何もできずにそのCDはただお店に並べられ、自然に売れていくのを待つだけでした。
CDショップで働いていると、世間が注目する話題のアルバムというのは、こちらが何もしなくてもいわば勝手に売れていく分、意外と印象に残っていなかったりします。
逆に、自分が取り上げなければ注目されなかったであろう曲のほうが、あれこれと手をかけた分ずっと思い入れがあり、後々まで覚えているものです。
ヴァイオリンとピアノによる「アダイ・アダイ」も、そうした記憶にこびりついている1曲です。
売る側の本音を言えば、聴きやすい曲ばかりを集めたコンピレーション・アルバムにこの演奏が入ってくれるのがベストです。
でも、もしそんなチャンスが来なくても「アダイ・アダイ」はいつか自分の納得いく形で、クラシックファンのみなさんにきちんと紹介しなくちゃいけないと思っています。
鈴木理恵子さんの演奏する「アダイ・アダイ」を部屋で聴いていると、この美しい曲を自分だけが独り占めしているかのような心苦しさと共に、まだクラシックの伝道師として駆け出しだったあの頃に、きちんとスポットを当ててあげられなかったというほろ苦い記憶が蘇ってきます。