2008-11-07 コピーがオリジナルを越えるとき

CDショップのクラシックコーナーには、普通のクラシック曲が置いてあるのは当然ですが、その他にもジャズやロックをクラシック風に編曲したものや、「クロスオーバー・クラシック」と呼ばれる、クラシックとポップスを融合させた新しいジャンルに至るまで、少しでもクラシックと関係している曲はたいてい扱っています。
しかしそんな中にあって、クラシックと関係しているのにも関わらず、あまりショップでは見かけないものもあります。
そのひとつがエレクトーン(電子オルガン)です。

エレクトーンはもともとクラシックとの関係が深く、最近の機種ではオーケストラで使われる楽器をかなりリアルに再現することができるようになっています。
僕は数年前にエレクトーン・コンクールを聴きにいったことがあるのですが、たった一人でオーケストラ曲を迫力満点で本物そっくりに演奏する姿に、腰が抜けるぐらいに驚かされました。
しかしCD業界に限って言えば、エレクトーンという楽器はほとんどのCDショップから無視されているのも同然の現状です。
エレクトーンはヤマハの登録商標であり、ほとんどのCDはヤマハが流通を独占しているという関係もあるのでしょう。
でも、エレクトーンがクラシック界で市民権を得ていない理由は、それだけではないような気がしています。

昨年発売された「初音ミク」というヴォーカル音源ソフト(VOCALOID)があります。
メロディと歌詞を入力するとかわいらしい女の子の声で歌ってくれるソフトで、音程の微妙な変化やビブラートのかけ方、歌い始めの息を吸う音といったところまで、その気になればかなり細かく作りこむことができます。
音源ソフトに「初音ミク」という名前をつけ、女の子のキャラクターを設定して擬人化した戦略が当たったこともあり、このジャンルとしては異例の大ヒットを記録しました。
そして発売後すぐに、動画サイトに自分で打ち込んだ初音ミクの音源を公開する人たちが現れました。
当初は既存のヒット曲などを歌わせてみるという使い方が主流だったのですが、そのうち初音ミクのために作ったオリジナル曲を発表するアマチュア・ミュージシャンが出現し、その中からは百万回以上も再生されるという人気曲も生まれました。

僕も初音ミクの曲をいくつか聴きましたが、その中で衝撃を受けた曲がありました。
それが「初音ミクの消失-DEAD END-」という曲です。
「初音ミク」にエラーが発生して正常に起動しなくなり、それを自覚したミクが所有者に最後の別れを告げるという設定の、ミクを擬人化した曲です。
1秒間に12文字という超高速で機関銃のように歌詞を叩きつけるそのサウンドに多くのリスナーが衝撃を受け、あっという間に人気曲になりました。

きっと今でもそうですが、どんなに素敵なオリジナル曲であっても、初音ミクの役割自体は人間のコピーという域を超えていないものがほとんどです。
ミクが人間に似ていれば似ているほど、言葉と言葉のちょっとしたつなぎ目やビブラートのかけ方など、本物になり切れない些細な部分がかえって目立ってしまいます。
(それがいいんだという人もいるようですが……)

この曲の凄いところは、ミク自身に「ヒトの真似事」「既存曲をなぞるオモチャ」と歌わせ、初音ミクが人間を超えられないコピーであるということを宣言していることです。
でも逆にそれを自覚することで、ミクは「ヒトの真似事」から離れ、聞き取れないほどの超高速で歌詞を歌うという、初音ミクにしか表現できない音楽を作ってしまったのです。
僕はその機械的な音に、他のどんなに人間を真似た曲よりも感情を揺さぶられました。
人間のコピーをやめ機械であることを自覚したとき、人間を追い求めていたときには得ることができなかった新しい価値観を持ったのです。
この曲を聴いて僕は、初音ミクには独自の新しい世界が開けたことを確信しました。

素晴らしい曲や演奏はどれも、他に代える事ができないオンリーワンの魅力を持っています。
それは上手い下手とは別の話です。
今のエレクトーンは残念ながら「これがエレクトーンだ」と胸を張って言える独自の世界を持っていないように思います。
いまだに「本物のオーケストラの方がいいよ」とか「別にシンセでもいいじゃん」などと言われるエレクトーンの現状には、かつてエレクトーンを習っていた者として寂しさを感じます。
何かのコピーではないエレクトーン独自の文化が育ち、CDショップにアルバムが並べられ、多くのクラシックファンに鑑賞される日は来るのでしょうか。

僕は最終的にこの世の中に残るものは、アコースティックな音楽だと信じています。
電子的なものは生の音には敵わないと思っているし、長い歴史の中ではその隆盛は一瞬で、いずれ廃れてしまうのではないかとさえ思っています。
エレクトーンも初音ミクも、いつかその役目を終える時が来るのでしょう。
でも、この一瞬を享受できる時代の人間として、電子の世界が人間の模倣をやめた時、どんな新しい音楽が生まれてくるのかを見届けてみたいと思っています。