2010-05-31 音楽祭の風景(後編)

大阪クラシックと高槻ジャズ・ストリートとで、僕が抱いた感情の違いについて。
前回の話は「音楽祭の風景(前編)」を参照にしていただきたい。
この2つの音楽祭の、僕の中での最も重要な違いは「この無料ライブが、通常の有料コンサートに繋がるものであるか」という点にあるんじゃないと思っている。
これは大阪クラシックと高槻ジャズ・ストリートの違いというよりも、クラシックとジャズの違いと言えるかもしれない。

ジャズの場合は、例えば高槻ジャズ・ストリートで、あるピアニストを気に入ったとしたら、次からはその人が出演するライブハウスやライブバーを探して、出かけて行けばいい。
この思考はすごくストレートで、これ以上説明する必要がない程シンプルだ。
でもクラシックでは、残念ながらそこまでシンプルにはならない。

例えば、大阪クラシックでモーツァルトの弦楽四重奏曲を演奏していた、あるヴァイオリン奏者を気に入ったとする。
しかしそのヴァイオリン奏者は、普段はオーケストラのメンバーとして活動している。
だから、その人を見に行くには、オーケストラの演奏会に出かけなければならない。
でもオーケストラのヴァイオリンというのは、何人もの人が一斉に同じ音を演奏しているから、弦楽四重奏のように、お気に入りのヴァイオリン奏者の音をじっくり楽しむという聴き方はできないのだ。
さらにオーケストラの演奏会では、いつでもモーツァルトやベートーヴェンのような、有名で親しみやすい曲ばかりをやってくれるわけではない。

そんなわけで、モーツァルトの弦楽四重奏曲を演奏するお気に入りのヴァイオリン奏者を見つけたとしても、そのヴァイオリン奏者を次に聴けるのは、オーケストラの小難しい現代作品だったりすると、同じクラシックとは言っても、もはや関連性も何もあったもんじゃない。
せっかく質の高い無料コンサートでファンを獲得しても、今のクラシック界にはスムーズに次に繋げる土壌やシステムがないんじゃないか。
それが、僕が抱いた複雑な思いの正体のひとつだ。

クラシックも、ジャズと同じようなシンプルな繋がりが作れないものだろうか。
例えば、オーケストラ団員による一夜限りの即席アンサンブルではなく、定期的に活動しているグループだけが出演する音楽祭だったら、どうなるだろう。
これならば、気に入ったグループを見つけたら、次はそのグループの演奏会に行けばいいわけだから、道筋としては随分とスムーズになる。
クラシックの場合、定期的に活動しているグループと言っても、それぞれのメンバーは普段はオーケストラや室内楽などで活動をしている中で、年に数回集まって演奏会を開く程度というケースがほとんどだけれど、それでもそのグループを見られるチャンスがあるというだけで、次に繋がる可能性はぐんと高くなるんじゃないだろうか。

僕が抱いた複雑な思いは、多分これだけじゃない。
それが何なのか、今ははっきりと言葉で説明することができない。
それをひとつひとつ丁寧に解き明かしていけば、きっとクラシックへのもっとスムーズな道が開けるような気がしている。