2009-07-25 「思うこと」

僕は普段の生活において、ポリシーのようなものはあまり持っていない。
実際にはたくさんのマイルールが組み合わさって行動パターンが決まっているんだろうけど、はっきりと言葉で意識しているようなものではない。
「自然にシンプルに」などと強いて言えるものもあるにはあるけど、それはそうなればいいなぁという、ゆるい目標程度のことだ。
ただ、音楽に関しては一つだけ信じている言葉がある。

「音楽で一番大切なことは『思うこと』である」

これはもともと僕自身の言葉ではない。
今は亡き名指揮者、岩城宏之さんの著書「楽譜の風景」の一節だ。
もともとは打楽器奏者だった岩城さんが、まだ指揮者として活躍する前の若い頃に、ベートーヴェンの交響曲第9番(いわゆる「第九」)でティンパニーを叩いていた話に登場する。

当時からベートーヴェンの「第九」のティンパニーをたたくたびに、不思議でならなかった一小節があった。
四楽章に入る。有名な「フロイデ!」ではじまるバリトンのソロのあと、合唱が歓喜を斉唱してだんだん盛り上がり、全員が「VOR GOTT!」と力の限り長く叫ぶフェルマータで、最初のクライマックスがくる。

この「VOR GOTT!」の部分には、クラシックファンには有名な、ベートーヴェンの不可解な指示がある。
全員が力強く伸ばすそのハーモニーの中で、なぜかティンパニーだけがひとり最弱音までディミヌエンド(だんだん弱く)していかなければならないのだ。
一緒にクライマックスに参加したいと思いながらも、音楽家としては楽譜や指揮者に従わなくてはならないので、その箇所でいつも欲求不満になっていたという。
その思いは、後に指揮者になった後も同じだったそうだ。

そのたびに「VOR GOTT!」のフェルマータで不思議だった。指揮という仕事で一番大切なことは、「思うこと」である。観客に見える手の動きは、実は氷山の一角に過ぎない。このフェルマータを盛り上げて持続している間中、ぼくの心のどこかで、ティンパニーのディミヌエンドに対する疑問が続く。クライマックスの「思い」は、当然減殺される。だからこの箇所は一度もうまくいったことがなかった。

「一番大切なことは『思うこと』」という一文は、本の中で特に強調されているわけではなく、この文脈でさらっと出てくるだけだけど、僕はこの本を高校生の頃に読んで以来、この言葉がなぜか強烈な印象と共に頭の片隅にずっと残っていた。
今20年ぶりぐらいに読み直してみると、岩城さんの文は僕が覚えていた「音楽で一番大切なことは」ではなくて、「指揮という仕事で一番大切なことは」となっている。
けれど僕は、これは指揮だけではなく全ての音楽について言えるんじゃないかと思っている。
もっと言えば、音楽家だけではなく音楽業界の全ての人に当てはまる言葉だと思っている。

音楽業界の中には、もちろんうんと稼げる仕事もあるんだろうけど、例えばCDショップなどは収入の面では、世間一般では決していい仕事とは言えない。
また、社員になりたいと思っていても、CDショップの多くは正社員の募集という形ではなく、アルバイトで何年か働いた後に契約社員として内部登用されることが多い。
しかも、それだけ働いても、登用試験が受けられるかどうかはわからない。
そこにたどり着くまでには長い道のりが必要になる。
お金のことだけを考えるなら、最初から正社員として入れて、もっと給料もいい仕事は他にあるだろう。
それでも音楽業界を目指す人たちは後を絶たない。

「音楽で一番大切なことは『思うこと』である」

これは岩城さんの音楽家としての立場の言葉だけど、僕はむしろ演奏活動を辞めて音楽関係の仕事をするようになってから、より強くそう感じるようになった。
音楽家と同様、音楽に関わっている人たちは、音楽に対して特別な思いを持って働いている。
こんなにもたくさんの人たちの熱い思いを引き寄せるエネルギーとパワーを持ったもの、それが音楽だ。
僕は音楽業界という世界は、それに関わる人たちの音楽に対する強い思いが唯一の原動力だと言い切ってしまってもいいんじゃないかと思っている。
だからこそ、組織として収益を上げる全ての過程には、スタッフの思いが伴っていなくちゃいけない。
いくら今より何倍も儲けることができたとしても、その過程に「思うこと」が欠けてしまったら、そのやり方はきっと何かが間違っている。

もちろん、音楽業界だけでなく他のどんな仕事にだって、そこで働く人たちの「思うこと」は詰まっていると思う。
でも、僕のひいき目かもしれないけど、音楽業界は他の仕事よりもより強い「思うこと」を引き寄せている気がするんだよなぁ。
人の心を扱う音楽だからこそ、僕はこれからも「思うこと」に、とことんこだわってみたい。