2009-08-01 思い込みとは恐ろしい

男は昔から、女性の年齢を聞いてはいけないことになっている。
最近はアラサーだアラフォーだと自分から歳を明かす女性も増えたけど、それでもアラサーの中には4~5歳程度の幅があるわけで、やっぱり女性の年齢には曖昧な部分が残っている。
僕はと言うと、昔ほどは相手の年齢を知りたいとは思わなくなった。
自分より年上か年下か、あるいは「だいたい同世代」というざっくりとしたくくりがわかれば、コミュニケーションのスタートとしては充分だ。

しかし女性の難しいところは、そのざっくりとしたくくりの感覚が通用しない人がいることだ。
相手の女性が、僕が思っていたよりも10歳近くも上でびっくりした経験が、少なくとも3回ある。
女性とは恐ろしい。
いや、でもそれは、こっちが勝手にイメージを作っていただけの話。
思い込みとは恐ろしい、と言うべきだろうか。

ところで。
モーツァルトは4曲の完成されたホルン協奏曲を残している。
この時代の協奏曲は通常3つの楽章で構成されていて、第1楽章は堂々とした快活な楽章、第2楽章はゆったりとした緩徐楽章、第3楽章はやや軽目の軽快な楽章、というのが王道のパターンだ。
モーツァルトのホルン協奏曲も基本的にその原則に従っている。
だけど唯一の例外である第1番だけは、なぜか第2楽章にあたるゆったりとした楽章がない。
本来なら第1楽章と第3楽章にあたる、速い2つの楽章だけで構成されているのだ。
僕が学生の頃に買った、伝説のホルン奏者デニス・ブレインの名盤、モーツァルトのホルン協奏曲集のCDのライナーノートには、第1番の解説としてこう書かれている。

1782年に作曲したアレグロに、5年後作曲したロンドをつけ加えたもので、緩徐楽章のない急速楽章ふたつという変則的な構成になっている。あとからアンダンテを入れるつもりだったらしいが、未完のままに終った。緩徐楽章がないので何か落ち着かず、また後続の3曲にくらべると円熟味がたりないが、それなりの魅力を持っている。

他の曲に比べて落ち着かないというか、楽章が2つしかないので物足りない気がするのは確かだ。
なぜモーツァルトが第2楽章にあたる曲を書かなかったのか、理由はわからない。
でもそれ以上突っ込んで調べる気もなかったので、まあ最初に書いた協奏曲だからでしょ、他の曲に比べてコンパクトなのも第1番らしくていいじゃないか、などとよくわからない理屈で何となく納得していた。

ところが今から20年ぐらい前に、大変なことがわかった。
モーツァルトが使用した五線紙を科学的に分析する研究によって、この曲は第1番ではなく、モーツァルトの死の年に書かれた、最後のホルン協奏曲だったことがわかったというのだ。
やはりモーツァルト最晩年の傑作である「レクエイム」や「魔笛」と平行して書かれていた可能性もあるという。
第1番のゆっくりとした楽章は、書かなかったのではなく書けなかった、つまり彼の死によって未完に終わったということらしい。
これは単に音符が間違っていたというレベルではない、かなり衝撃的な研究結果だ。

ホルン協奏曲第1番が本当に最晩年の作品だとすると、個人的には非常に気になる、ある問題が出てくる。
例のデニス・ブレインのCDの解説だ。
「後続の3曲にくらべると円熟味がたりないが、それなりの魅力を持っている」
これは一体、どうフォローすればいいんだろう。
大真面目に書いた評論家氏には申し訳ないし、もし自分がこれを書いた立場だったらと思うと冷や汗が出るけど、古きよき時代の笑い話としては、なかなかのクオリティじゃないかとしか言いようがない。
情報や思い込みに惑わされすぎると、落とし穴が待っている。

そう言えば、モーツァルトのホルン協奏曲第1番が最晩年の作品だと判明した後に発売されたCDの解説書に、「言われてみれば、晩年の作品であるクラリネット協奏曲とよく似たフレーズが使われており、円熟味のある書法が云々」なんて書いているのを見たことがある。
ずいぶん調子がいい人だなぁなんて思いながら読んでいたけど、これはこれで情報に惑わされすぎている。
もしも大どんでん返しで「やっぱりこの曲は最初期の作品でした」っていうことに万が一なったときは、これも笑い話のフォルダーに直行することになるだろう。

教訓。
情報や思い込みで作られるイメージに惑わされず、最大限に好意的な評価をすること。
そして、女性も曲も年齢の幅は広めに見積もっておくこと。
曲ならともかく、女性に対して「円熟味は足りないけど、それなりの魅力が……」などと口にしようものなら、実際は思っていたよりも10歳も上だったってわかったときに、笑い話では済まされないじゃないか。
女性とは、いや、思い込みとは恐ろしい。