2008-08-29 伝説の金メダリスト

4年に1度のスポーツの祭典、北京オリンピックが終わりました。
大会前から色々な問題を抱えながらのオリンピックでしたが、始まってみれば圧倒的な主役は外野のゴタゴタではなく、出場した選手たちだったことに感銘を受けました。
それにしても男子100メートル走のボルトの走りは衝撃的でしたね。
競泳のフェルプスや北島選手らと共に、伝説の金メダリストとして永く語り継がれることでしょう。
今回のオリンピックも素晴らしい大会になりました。

クラシックの世界でオリンピックに匹敵する大会と言えば、国際コンクールということになるでしょう。
特にロシアのチャイコフスキー国際コンクール、ポーランドのショパン国際ピアノコンクール、ベルギーのエリザベート王妃国際コンクールは、クラシック界の「世界三大コンクール」と呼ばれている大きな大会です。
それぞれ4~5年に1度という周期で開催され、その結果はすぐに世界中に大きく伝えられるという注目度の高さから言っても、クラシック界のオリンピックと言えるのではないでしょうか。
さすがに三大コンクールともなると、入賞者リストには芸術の最高峰で活躍する著名な演奏家の名前がズラリと並んでいます。
そしてそれぞれのコンクールの歴史の中には、後世に永く語り継がれる伝説の演奏家がいるものです。

第1回チャイコフスキー・コンクールのピアノ部門優勝者、ヴァン・クライバーンはまさに伝説の金メダリストと言えるでしょう。
チャイコフスキー・コンクールは冷戦真っ只中の1958年、当時のソビエト連邦が国家の威信をかけ、自国の文化的優位を世界に知らしめるために創設されたコンクールだと言われています。
当然、第1回目の優勝者はソ連勢が占めるはずでした。
しかし聴衆と審査員から圧倒的な支持を得て優勝したのは、あろうことかアメリカ人の若干23歳の青年、ヴァン・クライバーンだったのです。
この快挙はすぐさまアメリカに伝わりました。
凱旋帰国にはアイゼンハワー大統領自らが空港まで出迎え、ホワイトハウスで祝賀パーティーが開かれ、花吹雪と歓声に包まれたニューヨークの五番街をオープンカーでパレードするなど、彼は文字通り一夜にして国民的英雄になったのです。
そしてコンクールの本選でも演奏し彼の象徴となった曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のレコードは300万枚を超える大ヒットになりました。
この録音はCD時代になった現在でも、名盤として世界中で愛され続けています。

と、ここまでで終わればいいのですが、この若き英雄は、全米各地でチャイコフスキーの協奏曲を弾くなど多忙な日々を送り続けた結果、じっくり研鑽を積み才能を完全に開花させることなく低迷、そのまま第一線から姿を消してしまったのです。
1934年生まれのクライバーンは現在でもマイペースで演奏活動を続けているようですが、全米に巻き起こしたセンセーションを思えば、その後のキャリアはいささか物足りないことは事実です。
手元のピアニスト名鑑でも、クライバーンは最初のページに大きなスペースを割いて紹介されている巨匠の欄ではなく、後半のページに小さく書かれている”その他大勢”のピアニスト扱いです。
僕はクライバーンの演奏する、教会の大きな鐘がガランゴロンと鳴っているようなダイナミックなチャイコフスキーが大好きなのですが、クライバーンその人については「かつて栄光を極めたけど、今は忘れられた人」といった風なイメージを持っていました。

数年前、そのクライバーンが1962年にソビエトに”逆凱旋”した時の貴重なコンサートの映像がDVD化されて発売されました。
その映像を店頭のモニターに映して流していた時のこと。
あるアメリカ人のおじさんが若い女性と共にお店にやってきました。
そのおじさんはモニターに映っているクライバーンの映像に気がつくと、興奮したように隣の女性に向かって英語でまくしたてました。
「ワオ!あれ見てごらんよ!クライバーンだ!彼はもの凄いピアニストなんだよ!今はもうおじいさんだけど、これはまだ若いときだね……彼は本当に凄い人なんだ」
僕は英語はわからないんで完全にイメージですが、彼の様子から察するに、恐らくこんなことを言っていたに違いありません。
おじさんはそのままうっとりと、そして英雄を見つめる尊敬の眼差しで、演奏が終わるまでモニターをじっと見つめていました。

その様子を近くのカウンターで見ていた僕は、いたく感激しました。
もちろんアメリカ人がみんな同じような思いを持っているとは限りません。
でも僕はまさに目の前で、クライバーンが今でも英雄であるということをリアルに体感したのです。
知識としてしか知らなかったクライバーンの栄光が、体温を伴った実感として受け止められました。
この出来事があってから、僕の中でクライバーンは「かつて栄光を極めたけど、今は忘れられた人」から「かつて栄光を極め、今でも英雄であり続けている伝説のピアニスト」に変わりました。
店中のお客様を捕まえて「クライバーンは今でもアメリカの英雄なんですよ!」と吹聴してまわりたい気分でした。

今、クライバーンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の演奏をあらためて聴くと、その豪快な演奏の後ろに、たくさんのアメリカ人たちの誇らしげな顔が思い浮かんでくるようです。
ヴァン・クライバーン。
彼はこれからも永遠に語り継がれる、伝説の金メダリストなのです。