僕はモーツァルトに関しては、あまりいいリスナーとは言えません。
家でCDを聴くときは曲名を意識せずに流して聴くことが多いので、曲と曲名が一致しないものがあるのです。
モーツァルトにはホルン協奏曲が4曲あるのですが、自分が専門にしていた楽器であるホルンの曲ですら、区別がつかないものあるというていたらくです。
いまだに「モーツァルトの曲でどれがおすすめですか?」などと尋ねられるのが一番苦手な質問です。
モーツァルトの交響曲に関しては、ちょっと苦い思い出があります。
それはまだCDショップの店員になりたての頃。
東京の本部や各チェーン店からクラシックの担当者が集まって、神戸で親睦会が開かれたことがありました。
指揮者やオペラ歌手についてなど色々とディープな会話が飛び交う中、誰かが「ところで、モーツァルトの交響曲で一番好きなのは第何番?」という話題を振ってきました。
僕はにこやかにしつつも「うわぁ、一番困る質問が来たなぁ」と心の中でうつむいてしまいました。
モーツァルトには41番までの交響曲がありますが、中でも最後の6曲が特に有名です。
第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」、第38番「プラハ」、第39番、第40番、そして第41番「ジュピター」の6曲は「後期6大交響曲」と呼ばれています(第37番は偽作のため欠番)。
前半の30曲ぐらいまではモーツァルトがまだ10代の頃に書いた曲ということもあって、音楽的成熟度の点から言っても、最後の6曲が特に優れているとされています。
恐らく、一番好きな曲はこの中から選ばれるに違いありません。
僕ももちろん6曲全てを聴いて知ってはいたものの、曲と曲名が結びついていませんでした。
先陣を切って東京のスタッフが「僕は39番だな」と言いました。
すると別のスタッフが「あ、実は俺も39番が一番好きやねん!」と同調しました。
「うん、確かにいい曲ですよね」「前奏が終わった後の、あのワルツの雰囲気がええねん」などと39番の話題でひとしきり盛り上がった後、いよいよ「で、柳楽さんは?」と聞かれました。
みんなの視線が一斉に僕に注がれます。
どうしよう。
僕が好きなアノ曲は第35番「ハフナー」だったような気がするけど、イマイチ自信がない。
第25番も好きなんだけど、映画「アマデウス」でテーマのように使われていてあまりにも有名になった曲だから、ミーハーと思われたらイヤだな。
それに初期の作品を挙げるのはクラシックの専門スタッフとして何となくバカにされそうな気がする。
かと言って40番や41番「ジュピター」だとベタすぎるか。
ここは39番って言っちゃおうか?
でも39番のメロディが頭に浮かんでこない……。
ほんの一瞬の間に頭の中を色々な考えがグルグルと巡り、絞り出すようにこう答えました。
「僕も……39番かなぁ」
結局、僕の後に答えた人も含めて、その場にいた全員39番が好きという結果になりました。
東京のスタッフは「そっか、みんな39番が好きなんだ。確かにいい曲だもんなぁ」と嬉しそうにつぶやいていました。
その後も和気あいあいとしたムードで話が進む中、僕だけはどうにも居心地が悪くソワソワしていました。
家に帰ってからあわててモーツァルトの交響曲集のCDを引っ張り出し、39番を聴いたのは言うまでもありません。
「後からでもいいから、とりあえず39番が好きになれば辻褄はあう」などと訳のわからない理屈を自分に言い聞かせ、スピーカーの前で真剣に聴きました。
これでこの時に39番が好きになれば、さほど苦い思い出にはならなかったのでしょうが、困ったことに39番を聴きこんだ後でも、僕はやっぱり「ハフナー」や25番の方が好きでした。
今でも時々39番のCDを引っ張り出してきては、いつか大好きな曲にならないかなぁと半ば願いつつ耳を傾けてみるものの、いまだにトップの座には届いていません。
モーツァルトの交響曲第39番を聴くたびに、あの時の居心地の悪さを思い出して、何となく落ち着かなくなります。