2008-12-12 「もっと」を求めて

僕には「もっと」を求めていた時期がありました。
もっとたくさんの人と友達になりたい。
もっとたくさんの人に僕のことを知ってほしい。
そして僕のひとつの行動で、もっとたくさんの人の心をいっぺんに動かしたい。

僕は狭く小さい世界にしかいない自分が嫌でした。
その頃は何をやっても、手にしたものの喜びよりも、手にすることができないものが遥かに多いという悔しさの方が勝っていました。
でも、求めれば求めるほど僕の思いは世界の広さに吸い込まれ、決して全てを手に入れることができない心には、いつしか砂漠に水をまくような空しさが残るようになりました。

今から5年ほど前、「もっと」を求める思いがピークに達していた頃に、TV番組で紹介していたユニセフの絵ハガキセットを買ったことがあります。
3,000円のハガキを買うことで、アフガニスタンの子供たち何10人かに予防注射をしてあげることができるというものでした。
今考えると不思議なくらいの衝動に突き動かされ、すぐにそのハガキを注文しました。
僕の心は、日本を超えて世界にまで向かっていったのです。
自分の行動で一つの国を救うことができるぐらいの大きな気になっていた僕は、ユニセフから届いたハガキを手にして、自分の行動に満足しました。

でもよく考えてみると、自分が影響を与えられる何10人かに満足できずに飛び出したはずの場所で僕にできたことは、やっぱり何10人の子供たちに手を差し伸べることだけでした。
世界のどこに行ったとしても、結局自分の手が届く範囲は同じだったのです。
その事実に気づいて僕は愕然としました。
こうして「もっと」を求めて世界に飛び出した心は、また僕の目の前に戻ってきました。

そんな僕が、自分を「もっと」の呪縛から解放するきっかけとなった出来事があります。
それはCDショップで働くようになってしばらく経った、ある日のことでした。
僕は同僚からもらった牛丼の無料券を持って、ひとりで昼食を食べに行きました。
食べ終わって店を出ると、交差点の角に立ってビッグイシューを売っているホームレスのおじさんがいました。
ビッグイシューとはホームレスの自立を支援するための雑誌で、ホームレス自身が販売しています。
200円の販売価格のうち110円がホームレスの収入になるというしくみは知っていました。
(現在の販売価格は300円になっています)
僕は牛丼の無料券で浮いたお金で、それを1冊買いました。

以前の僕だったら、たった1人が110円儲かるだけの雑誌なんて買おうと思わなかったはずです。
でもその時は、ユニセフの絵ハガキを買った時と同じように、不思議な衝動に突き動かされていました。
今ここでビッグイシューを買うことで、ただやみくもに「もっと」を求めている自分と決別できると思ったのです。
それは自分自身に対する儀式のようでもありました。
僕はホームレスのおじさんから、思ったより上質な作りのビッグイシューを受け取り、心の中で「これでいいんだ」とつぶやきました。

今の僕は、巨大な力のような「もっと」を求めていた頃の自分とは違います。
大事なことは、どれだけたくさんのものをいっぺんに動かせるかということじゃなくて、今目の前にあるひとつのものを、どれだけ誠実な心で触ることができるのかということなんだ、と思い至ったからです。
そして、そのことを残念だとは思っていません。
僕がいつか、たくさんの人の心に届くでっかいことができたとしても、その時に僕がやっていることは、やっぱり自分の手が届く範囲の人たちに対する誠実な毎日の積み重ねで、それがいつのまにか集まって大きくなっているんだろうと思っているからです。

かつて求めていた「もっと」の正体は、手っ取り早く自分の存在を認めて欲しいという、単なるエゴの塊だったのかもしれません。
今でも「もっと」のエゴが芽生えそうになると、ビッグイシューを買ったあの日の交差点の光景が頭に浮かんできます。