【前回までのあらすじ】
(プロ演奏家という立場に違和感を覚え、演奏活動を辞め楽譜専門店で働いていたものの、ある日トラブルを起こしてしまい、店を去らなければならなくなり……)
こうして僕は無職になりました。
大学を出て以来、いわゆる就職活動というものをしたことがなかった僕にとって、この時期は本当の社会人になるためのステップだった、と今なら言えるでしょう。
でも現実はそんなカッコいいものではありませんでした。
就職情報誌を立ち読みするために、毎日コンビニや本屋を回る生活。
同じ店には連続して行かないように何件かの本屋をローテーションで回り、立ち読み常習犯として店にマークされにくくする空しい努力もしました。
きっと音楽関係のいい仕事がすぐに見つかるハズという甘い幻想を抱き続け、毎日たいして代わり映えのしない就職情報を眺めては「今日もダメだった」とため息をつく日々。
アルバイトもせず、失業手当と貯金を食いつぶす毎日を3ヶ月、4ヶ月とくり返すうち、夫婦の間に徐々に険悪なムードが漂うようになっていきました。
「このままではダメだ」いよいよ尻に火がつき始めた頃、ハローワークでCDとコミックを扱う小さな中古ショップの求人を見つけました。
ブックオフのような形態のその店は、音楽に関係あるとは言えクラシックとは無縁そうだったし、家からも遠いし給料も安いしと、条件的にはあまりいいものではありませんでしたが、半年間空振りを続けてきた身としては、充分に許容範囲でした。
こうして楽譜専門店を辞めてから半年、僕はようやく就職することができました。
昼11時から夜11時までの12時間勤務が基本という無謀な店でしたが、不思議とそれをさほど苦痛とは思いませんでした。
やはり音楽と関わっているという環境が大きかったのでしょう。
買い取りや販売価格の決定は社員の裁量に任されていたので、高価買い取りアイテムを決めるためにオリコンチャートをチェックしたり、同業他社の買い取りリストなどを手に入れたりして情報を集めました。
自分の知らなかったジャンルの音楽についての発見の連続で、毎日それなりに楽しんで仕事をしていました。
入社して3ヶ月が経ったある日、大量のコミックが万引きされました。
店にいた中学生が教えてくれたのですが、その時はスタッフが僕だけしかいなかったので、どうすることもできませんでした。
すぐに社長に報告しましたが、もともと多角経営をしていた会社の社長が道楽でやっていたような店だったので、社長はあっさり閉店することを決めたのです。
僕は入社わずか3ヶ月で放り出されるように失業し、再び仕事を探す毎日に舞い戻ってしまいました。
この時期、僕は「好きだからこそ、仕事にする」「好きだからこそ、趣味にする」という2つの考えの間で揺れていました。
もともとは圧倒的に前者の考えでしたが、いざ探してみるとそう上手く音楽関係の仕事があるわけではありません。
ライブハウスの運営スタッフ、ピアノ運送会社の事務、結婚式場の音響係など、少しでも音楽と関係していそうな会社を見つけては、手当たり次第に連絡を取りましたが、条件や仕事内容が合わず、なかなか事態は進展しませんでした。
そのうち音楽とは離れた仕事も探すようになり「仕事は仕事として働いて、オフタイムで音楽を楽しむという生活もいいのかもしれない」と思うようになっていました。
実際「音楽関係の仕事がしたい」などと言っていられる状況ではありませんでした。
最初の失業で貯金をかなり食い潰していたため、今度はとにかく何でもいいからすぐに就職するんだという決意を固め、携帯電話ショップのチェーン本部に経理事務員として入社しました。
音楽とは関係のない、知識も興味も全くない仕事。
ひたすら机に向かい、仕組みすらよくわかっていない数字と格闘し、毎日残業でヘトヘトになって帰りの電車で爆睡する日々。
BGM代わりに1日中事務所で小さく流れているFM番組に耳を傾けることだけが唯一の楽しみでした。
生活のためにと割り切って働いたものの、これが長くは続かないだろうことは、自分自身が一番感じていました。
自分のために使える時間とお金はほんのわずかで、そのわずかな時間さえ、疲れて音楽を聴く気力も沸かない。
僕が思い描いていた「仕事をしながらオフタイムで音楽を楽しむ」という生活スタイルは、ただの妄想になっていました。
働き始めてからも、就職情報サイトをチェックするのが日課となっていました。
それは、いい仕事が見つかるかもしれないという期待と言うよりは、失業時代からの惰性の習慣でした。
携帯電話ショップで働き始めて3ヶ月が経ったある日、いつものように家に帰ってぼんやりとパソコンを眺めていると、ある求人が目に飛び込んできました。
それは神戸にあるCDショップのクラシック担当の契約社員の求人でした。
これまでに受けたいくつかのCDショップは小さな店ばかりで、クラシック専門フロアがあるような大型店、しかも契約社員の募集は初めてでした。
僕が狂喜したのは言うまでもありません。
給料が今よりも少なくなることが問題でしたが、再びクラシックの世界に戻れるという喜びには勝てませんでした。
会社に内緒で日曜日に面接を受けに行き、見事に採用が決定。
晴れ晴れとした気分で携帯電話ショップを辞め、CDショップの店員としてのキャリアをスタートさせました。
ここでやっと、現在に繋がるスタート地点に立つことになったわけですが、CDショップで働くことに確固たる信念を持つようになるのは、もう少し後の話になります。
次はいよいよ最終回「CDショップ店員としての誇り」です。