僕がCDショップの店員になった当初、過去の演奏を聴いてこなかった蓄積のなさとレコードやCDに対する知識不足を少しでもカバーするために、名盤リストのようなものを作ったことがあります。
音楽評論家やクラシック愛好家の投票によって決められた「名曲名盤○○選」といった本をいくつか買い、それらの本に載っている順位を1曲ごとに独自に集計してリストアップしたものです。
リストを作るにあたっては、(1)クラシック評論家が投票したランキング、(2)一般のクラシック愛好家が投票したランキング、(3)海外のクラシック専門誌を解析・集計したランキング、という3種類のデータを使いました。
いわば「多数決の多数決」をとったリストです。
そうした作業の結果、一般に名盤と言われている演奏がはっきりと浮かび上がるだろうなと思っていました。
でも出来上がったものを見てみると3種類のランキングが共に上位という演奏は思ったほど多くなく、ある一部の超有名盤を除いては、意外に票がバラバラな印象を受けました。
その主な原因は、日本と海外の評論家の評価の差でした。
日本では上位にランクインしている演奏が海外の集計では全く注目されていなかったり、逆に海外では数々の賞を受賞し大絶賛されている演奏が日本では全然ウケていなかったり。
特に海外で評価されている演奏の数々は、日本ではほとんど知られていないものが多く、あまりの噛み合わなさに集計しながら面食らってしまいました。
僕はこのリストを作るまで、芸術性というものにはきっと世界共通の美学があるに違いないと考えていました。
だから世界中の評論家の声を集めれば、ある決まった演奏に評価が集中するんじゃないかと予想していたのです。
でも実際にリストを作ってみてたどり着いた結論は、「世界に共通する絶対的な美の価値観ってないんだ」というものでした。
日本では発売されていないCDも対象になっているという事情を考慮したとしても、それほどまでに大きな差が現れたのです。
また同じ日本人でも、評論家と一般愛好家の意見が完全に一致しているわけではありませんでした。
評論家は演奏に普遍的な芸術性や新しい意味を求め、音楽そのものの良し悪しで判断しようとするのに対して、一般の愛好家はどちらかと言えば保守的で、芸術的かどうかよりも自分にとっての心地よさや好き嫌いが濃く反映しているという風にそれぞれの判断基準が違うので、当然と言えば当然なのかもしれません。
とにかくそれぞれの曲ごとに満場一致の「名盤」が3つずつぐらい並ぶような結果を想像していた僕は、完全に肩透かしを食った形になりました。
だからこそ3種類のランキング全てで上位に入っている演奏は、まさに「名盤」と呼ぶに相応しいものばかりと言えます。
でもそのランキングを使って問答無用に「これは名盤です!安心してお買い求め下さい」と言い切れるかというと、話はそう単純ではありません。
なぜなら「名盤」の中には、戦中戦後に録音された音質の悪いモノラル録音や、まだまだ一般的とは言えない作曲当時の古楽器を使ったオーケストラの演奏なども含まれていて、無条件でお薦めできるものばかりとは限らないからです。
そうやって条件を絞っていくと、問答無用の「名盤」は数えるほどしかなくなりました。
さらに困ったことに、それらの「名盤」の中には明らかに僕の趣味とは違う演奏もありました。
こうなってくると、もう何が何やらわかりません。
このリストが、クラシックファンの間で常識として語られる「名盤」と呼ばれている演奏を知るのに、大いに役に立ったことは確かです。
でもCDショップの店員として手っ取り早く使える”お薦めマニュアル”にはなりませんでした。
「名盤ですが、1940年代の録音で音は悪いです」
「名盤ですが、拍子抜けするほどあっさりとした演奏です」
「名盤ですが、独特な演奏なので一般的とは言えません」
結局はひとつひとつ自分の耳で確かめて、どういう風にいい演奏なのかを理解しないといけないのです。
千里の道も一歩から。
クラシック・サポーターに近道はないようです。