2010-02-02 親子の共演

先月26日に、大阪フィルの首席チェロ奏者であり、NHK「クインテット」の音楽を担当している「宮川彬良&アンサンブル・ベガ」のメンバーとしても活躍されている、チェロ奏者の近藤浩志さんのお母さん、メゾソプラノ歌手の近藤道子さんのリサイタルが、大阪のいずみホールで開催された。
長く関西歌劇団に所属し、関西のオペラ界を支えてこられた道子さんは(伏せたままでは話が進まないので失礼ながら年齢を明かすが)、数年前に古希を迎えられた、大ベテランの歌手である。
このコンサートは、昨年3月に金婚式を迎えられたご両親のお祝いのために、息子の浩志さんが企画されたものだった。

もともとは、ご両親の結婚記念日に毎年プレゼントを贈っている浩志さんが、金婚式のお祝いに何が欲しいか尋ねたところ、道子さんが「歌が歌いたい、宮川彬良さんと共演したい」と答えたところから始まっている。
この夢物語のようなリクエストに、さすがに浩志さんも最初は「無理、無理」と言ったそうだ。
しかし、宮川さんにお話したところ快諾してもらい、その上、年間でわずか10回程度しか集まることができないアンサンブル・ベガの弦楽メンバーも集まってくれることになり、さらに道子さんのご主人、修造さんも指揮とピアノで出演されるという、何とも豪華なコンサートが本当に実現してしまったのだった。

僕が想像するに、音楽家同志の親子が共演すると言っても、きっと普通はステージ上ではある程度、お互いに音楽家として接することができるんじゃないかと思う。
でも、既に音楽家としての肉体的ピークを越えた歌手である母親との共演は、音楽家としての対等な関係というよりも、普段の母と子の関係に近かったのではないだろうか。
いち音楽家としてではなく、息子として母親にプレゼントしたコンサートだから、絶対に喜んでもらいたい。
このコンサートのための準備に駆け回り、オペラアリアをアンサンブル・ベガで伴奏するために編曲を行い、その合間にもちろん自分のチェロも練習し、ようやく迎えたステージの上で、浩志さんはきっとドキドキされていたことだろう。
司会進行も担当された浩志さんは、曲紹介の際の段取りを間違えたり、メンバー紹介の時に自分を紹介するのを忘れたりと、かなり緊張しておられたようだった。
それは、誰よりも強く母のリサイタルの成功を祈っておられたからに違いない。

前半は修造さんが指揮するアンサンブル・ベガの弦楽隊をバックに、オペラアリアなどが歌われた。
年齢などの予備知識なしに、単に聴こえてくる音のことだけを言ってしまえば、道子さんの歌声は声量はあるものの、音程は終始ぶら下がり気味で安定せず、心の中で思わず「がんばって」と応援したくなるものだった。
しかし、そんな印象が一変したのが、最も得意にしていたというレパートリー、ヴェルディの歌劇「トロヴァトーレ」の「炎は燃えて(Stride la vampa)」というアリアを歌ったときだった。
このアリアは、自分の母親が火あぶりの刑で殺された記憶を歌った、不気味な雰囲気が漂う曲だ。
この曲が始まると、役が乗り移ったかのように道子さんの表情がさっと変わり、まさに炎のように感情が燃え立つ、生き生きとした素晴らしい歌唱がホールに響いた。
枯れた情念と呼べるようなその歌に、僕はむき出しの魂に触れたような感銘を受けた。
失礼ながら「母の思い出作りのためのコンサート」という程度だった最初の印象は、どこかに吹っ飛んだ。

後半は最初に、浩志さんが「私が最も尊敬している人です」という紹介で、父親の修造さんを呼び込み、その修造さんのピアノ伴奏で「かあさんの歌」をチェロ独奏で演奏された。
“かあさんが夜なべをして 手袋編んでくれた”
しなやかでみずみずしい近藤さんのチェロの音色。
そのメロディにそっと添えるようにハーモニーをつける父、修造さん。
父子2人だけのステージで、母親に捧げる透き通った時間。
僕は今までにも近藤さんのチェロを何度か聴いてきたけれど、この日の「かあさんの歌」の尊い音色は格別だった。

そして終盤は、宮川彬良さんのピアノ伴奏による、道子さん念願の共演ステージ。
最後はアンサンブル・ベガの弦楽メンバーも加わって、道子さんが大好きだという、現代日本歌曲の名曲「落葉松」を、たっぷりの思い入れを両手に包んでそっと差し出すように歌われ、盛況のうちに本編が終了した。
アンコールでは浩志さん、道子さん、修造さんの3人がステージに登場し、ビゼーの歌劇「カルメン」から「ハバネラ」を家族水入らずで共演。
愛情に溢れた素晴らしいコンサートは、まさしく大成功に終わったのだった。

終演後のロビーは、道子さんにあいさつをするために、たくさんの人でごった返していた。
僕はその幸せな興奮に包まれたロビーを出て、道子さんの枯れた情念の感銘を思い返し、そして浩志さんの演奏中のドキドキと終演後の安堵に思いをはせながら、温かい気持ちで駅に向かって歩いた。