2010-01-19 震災15周年に寄せて

今、この原稿を書いているのは1月17日。
15年前、阪神淡路大震災が起こった日だ。
当時の僕は大阪に住んでいたから、直接的な被害はほとんどなかったし、幸いなことに僕の友人や知人の周りで亡くなった方はいなかった。
それでも、そんな僕にとっても、あの日の体験は衝撃的な出来事だった。
関西以外の人たちや、この震災を体験していない若い人たちはどうなのかわからないけれど、僕らは毎年1月になると「ああ、もう震災から○年なんだねぇ」とあいさつのように言葉を交わす。
たとえ追悼集会に参加するようなことはしなくても、いつもと変わらない日常が過ぎて行くとしても、1月17日はやはり特別な気持ちになる。

クラシックと全く関係ない話で申し訳ないけれど、大震災から15年目の1月17日に原稿を書いているという廻り合わせを大切にして、震災を間近で体験したひとりとして、あの日の気持ちをここに記録しておこうと思う。
以下に紹介するのは、当時僕が書いていたウェブ日記の2001年1月17日に書いた文章を元に、若干の加筆修正をしたものである。

——

「あの日のこと」

朝、不意に目が覚めると、部屋が揺れていた。
左右に激しく揺れ動いていた。
驚いてベッドから跳ね起きる。
そばにあったコートを手に取って頭からかぶる。
そんな事をしたってムダだ。
頭ではわかってる。
なおも揺れ続ける暗闇の中で、僕はなす術なくただ頭を抱えてしゃがんだ。

大阪市内にあるマンションの2階。
僕はボーリング場でアルバイトをしながら、ひとり暮らしをしていた。
揺れがおさまった。
部屋の明かりをつける。
移動式のCDラックが倒れていた。
ケースが割れたCDが床に飛び散っている。
テレビをつけてみる。
まだどの局も放送が始まっていない。
じきにNHKが放送を始めた。
震源は淡路島。
神戸がひどいらしい。

7時過ぎに余震が来る。
心構えができているから、ちょっと落ち着いていた。
今日もボーリング場でバイトをするはずだった。
ボーリング場が心配だったけど、電車が止まっているから行くことができない。
ベッドに腰掛けて壁にもたれながら、ぼんやりとテレビを見ていた。

次々と入ってくる情報を見ていると、神戸はかなりひどいようだ。
当時まだ結婚する前だった彼女から電話があった。
宝塚に住んでいる彼女は無事だったらしい。
僕は半ば思考停止状態で、こっちから電話をかけることなんて思いつきもしなかった。
あちこちの友達に電話してみる。
何度かけても電話はどこにも全然つながらない。

ニュースの情報が更新されるたびに、100人単位で死者の数が増えている。
もう1,000人を超えた。
テレビに映った真っ赤に燃える神戸の街。
僕はただぼんやりと画面を見つめるしかなかった。

夕方になって島根の実家に電話した。
島根に住んでいる弟からも電話があった。
冷蔵庫の中はからっぽで朝から何も食べていない。
夕方になってやっと部屋を出て近くの食堂に行った。
そこでテレビを見ながら黙々と丼を食べた。
すぐに家に帰ってまたテレビをつけた。

夜。
ベッドに入って天井を見つめる。
夜中にまた大きい余震が来るかもしれない。
このまま寝てしまったら、もう明日目覚めることはないのかもしれないと思った。
生まれて初めて本気で死の存在を考えた。
でも、だからってどうすればいいんだ?
そのうち疲れて寝た。

被害にあった人々に対する感情は、いまだに何もわかない。
僕は非情なんだろうか。
でもあの日のことを思う時、僕はあの日と同じように無感情になって、頭の中は何も考えられないような速度でゆっくりと回転するのだ。
あの日の記憶は、過去にも未来にもつながっていない、完全に独立した凍結された出来事として、感情を伴わない事実だけが残っている。