2009-12-22 Necktie

僕は今まで、制服があった外資系CDショップでの数年間を除くと、基本的にスーツにネクタイという格好で働いてきた。
だからこの歳になると、それなりに使ってきたネクタイの本数も増えてくる。
普通のサラリーマンに比べて多いのか少ないのかはわからないけれど、ネクタイをいただく機会も何度かあった。
よくしてもらった常連のお客様からいただいたクリーム色のネクタイ、アルバイトの女の子たちからもらったピンクのネクタイ、誕生日に妻からもらった濃紺のネクタイ。
それぞれに思い入れがあり、手に取るときには必ずもらった人の顔が思い浮かぶ。
そして、自分にとって大切な行事や大きな仕事がある時には、それらを”勝負ネクタイ”として選ぶことが多い。
そんな思い入れのあるネクタイの中でも、今までに使った回数が圧倒的に少ないネクタイがある。
それは、より正確に書くと”使うことができないネクタイ”だ。

まだ僕が20代の頃、プロ演奏家としての活動に区切りをつけて就職したのが楽譜専門ショップだった。
僕はそこで初めてスーツにネクタイという、いわゆる当たり前の社会人としての生活を始めることになった。
大学で就職活動もしたことがなく、演奏活動以外にやっていたアルバイトでもスーツ姿とは無縁だった当時の僕は、ネクタイというものが大嫌いだった。
ツマラナイ大人になんてなりたくない、ネクタイを着けることは社会の歯車となることに屈した人間のすることだ信じ、ネクタイなんてツマラナイ大人であることの証だとすら思っていたのだ。
さすがに入社してしばらくは、おとなしくネクタイをしていたものの、じきにそんな自分にどうしても我慢できなくなり、勝手にノーネクタイで出勤するようになった。
ノーネクタイと言うと、今でこそクールビズみたいで聞こえはいいけど、それに合わせたオシャレなシャツを着るわけでもなく、一年中、単にネクタイをしていないだけの、今思えば恥ずかしいくらいしまりがない格好だった。
20代も半ば過ぎてもう若造とも言えない男の、接客業にはあるまじき勝手な行為を、上司や先輩たちはよく寛容に受け入れ、あるいは我慢して使ってくれたものだと思う。

この店には、創業初期から勤めておられるベテラン社員さんがおられた。
楽譜一筋何十年といった感じの職人的な方で、僕は密かに尊敬していた。
そのベテラン社員さんは、毎年1回、長期休暇を取って海外旅行に行くことを恒例にされていて、ある年にイタリアに行かれたとき、僕へのお土産としていただいたのが、紺のネクタイだった。
普段は何も言われなかったけれど、やはりいつまでもネクタイをしてこない僕のことを、内心では苦々しく思っておられたのだろう。
あるいは、きっと僕はまともなネクタイを持っていないと本気で思われていたのかもしれない。
口下手で必要以上に多くのことを言われない方だったので、その本心はわからないけれど、何かしらの思いが込められているネクタイであることは間違いなかった。
もう昔のことだから忘れてしまったけれど、もしかしたらお礼の意味で、1度くらいはそのネクタイをして出勤したことがあるかもしれない。
でも結局僕は、その後も退職するまでネクタイをしていくことはなかった。

あれから何年も経ち、僕なりに色々と社会経験を積んできた。
いつしかネクタイに対する抵抗もなくなり、今ではもちろん毎日ちゃんとネクタイをしめている。
お洒落に対する興味はほとんどないものの、多分人並みにはネクタイの本数を持っているし、人並みに1週間毎日違った柄のネクタイにするぐらいのことはしている。

でも、毎朝ハンガーからネクタイを1本選ぶときに、ベテラン社員さんからいただいたネクタイだけは、なかなか手を伸ばせない。
イタリア産だからなのかえらく長くて、身長の低い僕にはどうにも不釣合いで、どうしても恰好よく着けることができないのだ。
いや、僕に似合わないのは多分、長さのせいだけじゃないことは、自分でわかっている。
このネクタイを手にしようとする度に、ベテラン社員さんに「これが似合う大人になったのかい?」と言われている気がする。
そして、僕の社会人としての格がまだネクタイに追いついていない気がして、堂々とつける自信がないのだ。
いまだにこのネクタイは、ここ一番の”勝負ネクタイ”としてすら使うことができないでいる。
いつか、自信を持ってこのネクタイを着けられるようになったとき、僕はやっと一人前の社会人になれるのだろう。
ベテラン社員さんからプレゼントしてもらった、メイド・イン・イタリーのネクタイが似合う男になる、これが僕の密かな目標だ。