僕はCDショップの店員として、誇りに思っていることがあります。
それは、今までに店独自のヒットアイテムをいくつか生み出すことができたことです。
ヒットと言っても、クラシックの世界はJ-POPなどに比べるとうんと規模が小さいものですが、それでもメーカーのプロモーションに頼らずに、売り場を発信源として人気アイテムを生み出せたことは、大きな喜びでした。
僕がCDショップの店員として最初に働いた店は、前任の女性スタッフが作り上げたオシャレな雰囲気の売り場で、クラシック専門フロアとしては独特のたたずまいを持っていました。
そしてそのオシャレな雰囲気は、神戸という町の特色とよくマッチしていました。
お客様の層は比較的若い女性が多く、いわゆる普通のクラシックファンのように音楽そのものを突きつめて楽しむ求道的な聴き方ではなく、自分が気持ちよくなるための、心地よい空間を演出するアイテムとしてクラシックが求められているという印象でした。
音楽的な傾向としては、オーケストラが大音量で堂々と鳴り響く曲よりも、ヴァイオリンやピアノなどの小人数のシンプルな音楽が好まれ、ロマンティックなメロディを濃厚に歌い上げる19世紀ロマン派の音楽よりも、ヴィヴァルディやバッハのような比較的サッパリとした、17~18世紀前半の「バロック音楽」と呼ばれる時代の曲がよく売れたものです。
また、熱心なクラシックファンには敬遠されがちな、シンセサイザーなどを融合させた「クロスオーバー・クラシック」と呼ばれるジャンルも積極的に受け入れる柔軟さがありました。
僕もそうした店の個性を楽しみ、自分の好みというよりは、お客様の求めているものに応えられるような展開を心がけていました。
今でも印象に残っているアルバムに、アンドルー・マンゼというヴァイオリン奏者が演奏した、コレッリ作曲のヴァイオリン・ソナタ集があります。
この曲はクラシックファンにとっても決して一般的とは言えない曲目で、2枚組CDでそこそこの値段がしたこともあり、他のクラシック専門店でこのアルバムを大きく取り上げて販売した店はほとんどなかったと思います。
でも神戸の店では試聴機に入れて大きく展開したところ、バロック時代特有のスッキリとした響きと、演奏の軽やかさ、美しさが受け入れられ、年間売上トップ10に入るほどのヒットになりました。
またSummerという歌手のアルバムも忘れられません。
Summerはシンセサイザーなどでアレンジされたクラシック曲を歌う、クロスオーバー系のイギリス人女性ヴォーカリストです。
日本国内ではほとんど知られていない歌手でしたが、暖かく優しい雰囲気を持った歌声がこの店にピッタリだと判断して大プッシュし、これもコレッリのヴァイオリン・ソナタ同様、お店の試聴コーナーを通じてたくさんのお客様の手に渡っていきました。
そんな神戸での最大のヒットとなったのが「The Most Relaxing Cello」というCDです。
その名の通り全てチェロの演奏によるオムニバスで、サン=サーンスの「白鳥」やラフマニノフの「ヴォカリーズ」といった定番の小品、またソナタや協奏曲の中のゆったりとした楽章など、リラックスできるチェロの名曲が集められたアルバムでした。
最初に新譜案内を見た瞬間から絶対にこの店で受け入れられると直感し、試聴コーナーで大きく展開したのです。
その直感は見事に当たり、いや、それを遥かに超えて、発売した日から店が閉店するまでの約1年間、大げさではなく本当に毎日のように売れていきました。
チェーン全体の中でもほとんど神戸店だけで圧倒的に売れ続け、まさに店独自の大ヒットアイテムになったのでした。
僕は神戸の店を辞めた後、今のチェーンショップに就職し、まず京都の支店に配属になりました。
そこはオシャレで新しい音に敏感だった神戸とは違い、レコード時代からの定番の演奏が連綿と売れ続けているような、いわゆる昔ながらのクラシック専門店の雰囲気を持った売り場でした。
CDショップの店員になって以来、まだ1つの店でしか働いたことがなかった僕は、同じクラシック専門フロアでありながら、あまりに違う雰囲気に戸惑いつつ、ここでのお客様が求めているものを必死に探る毎日を送っていました。
この店で「The Most Relaxing Cello」を売ってみようと思ったのは、そんな試行錯誤をくり返していたある日のことでした。
さすがに神戸で売れたような爆発的な売れ方をするとは思っていませんでしたが、何と言ってもつい数ヶ月前まで毎日のように売れ続けていたアルバムです。
神戸という町で何百人もの人たちに支持されたという実績を、京都の地で試してみたいという気持ちもありました。
さっそくCDを取り寄せて試聴機に入れて展開してみましたが、結局は数ヶ月間でわずか数枚が売れただけでした。
この無残な結果に僕は愕然としました。
条件の違いはあるにせよ、同じクラシック専門フロアでほぼ同じ時期に同じ人が手がけたにもかかわらず、こんなにも違うものなのか。
このことがあって以来、僕は神戸時代のヒットアイテムをこの店で大きく扱うことはしませんでした。
場所が変われば客層も変わる。
新しい場所で何かをやるときに、過去の成功にしがみついてちゃダメなんだということを、早い段階で体験できたのはよかったと思っています。
今のチェーンショップで、店の雰囲気に合わせた独自色を出せるようになるのは、もう少し後の話です。