2009-03-07 同じ時代に生きる

クラシック音楽というものは、多くの場合は大昔に作られた曲で、それをあらかじめ決められた楽譜に従って再現するという性質上、どうしても視線が未来よりも過去に向かいがちなジャンルのように思います。
今でも新しい曲は作られているものの、現在コンサートで演奏されるレパートリーのほとんどは、もう死んでいる作曲家たちが残したものです。
演奏すること自体は現在進行形の行為であるはずなのですが、それが録音として残せるようになると、演奏という行為すらも過去のものが鑑賞の対象になっていき、ますます後ろ向きなジャンルになっていったような気がします。

僕はよく冗談で、周りのスタッフに「僕は死んだ人にはあんまり興味がないんだよ」と言うことがあります。
僕がもともと演奏活動をしていたことも関係しているのかもしれませんが、既に亡くなった演奏家が残した録音をひたすら蒐集するような楽しみ方は、いちクラシックファンとしての僕の趣味とは合いません。
もう新しい演奏が生まれることがない人を追いかけているのは、何と言うか、未来がないような気がするのです。

でも専門誌などでは、ひんぱんに過去の巨匠たちの特集が組まれているし、例えば未発表のライブ音源が発見されるとクラシック・ファンの間で大ニュースになるなど、クラシックCD業界全体として、過去の演奏家を重視しているのが現状です。
曲にしてもそうで、例えばこの50年を考えてみても、クラシックのコンサートでくり返し演奏される曲の顔ぶれは、ほとんど変わっていないといっても言い過ぎではありません。
「死んだ人には興味がない」という僕の感覚は、普通のクラシック・ファンとはだいぶズレているのかもしれませんが、それでもやっぱり、今の時代に受け入れられる新しい演奏家や曲を見つけるとテンションが上がり、過去の演奏家のアルバムを売るときの何倍ものエネルギーを注いでしまいます。

今の時代に生まれた新しいクラシック作品に、カール・ジェンキンスの「レクイエム」という曲があります。
レクイエムというのは死者のためのミサのことで、カトリック教の葬儀で用いられるラテン語の典礼文に作曲された合唱曲です。
共通の歌詞に基づいて作曲される曲なので、古今の作曲家によって数多くの「レクイエム」が作曲されていて、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの”3大レクイエム”をはじめ、美しい作品が数多く残されています。

カール・ジェンキンスは純粋なクラシックの作曲家ではなく、ニューエイジ・ミュージックとかヒーリング・ミュージック(いわゆる癒し系)と呼ばれるジャンルで新しい音楽世界を作りあげた人です。
彼が率いるヴォーカル・プロジェクト「アディエマス」が歌った、NHKのドキュメンタリー番組「世紀を越えて」のテーマ曲や「聖なる海の歌声」という曲は日本でも大ヒットとなりました。
レクイエムというクラシック史上不変の題材と、ジェンキンスの現代的な感覚と癒しの資質が出合ったとき、今の時代にふさわしい新しいクラシック曲が生まれたのです。

常に新しいクラシック曲を探していた僕が、この曲を聴いて大喜びしたのは言うまでもありません。
周りのスタッフに「これはいいよ!」と吹聴しまくり、店内のBGMとしてくり返し流し続け、もちろん試聴機にも入れて大プッシュしました。
叙情的なパートの美しさは言うまでもありませんが、「怒りの日」という激しい曲では、強力な推進力を持って高速で刻まれるビートとそれに乗ってたたみかけるように歌われる合唱がいかにも現代風でカッコよく、強烈なインパクトがありました。
たまたま店内に流れていた「怒りの日」を聴いていたおじいさんが、興奮気味に「ワシが求めていた曲はこれだ!」と言って、その場でCDを買っていかれたこともありました。
ジェンキンスの「レクイエム」には人を一瞬でひきつける魅力があることがわかり、僕のテンションはさらに上がったものです。

この新しいレクイエムは保守的なファン層には注目されなかったのか、クラシック界全体ではあまり評判にはなりませんでしたが、僕はこの曲のよさを知ってもらおうと一生懸命アピールし、うちの店ではじわじわと売り上げを伸ばしていきました。
結果だけを見れば、数十人が買ったというだけのことかもしれませんが、めったに買われることのないクラシックの新曲を、これだけの人が聴いてくれたということの意味は僕の中では大きく、ジェンキンスの「レクイエム」は、クラシック界の閉塞感を打ち破る光のようにすら思えたのでした。

かつてのクラシック音楽は、芸術である以前に実用性や通俗性といった要素があったと思うのですが、今ではその役割は映画やテレビの音楽にシフトしているんじゃないかというのが僕の持論です。
そして多分これからも、一般の人たちも素直に親しめるような曲は映画やテレビの音楽にあって、新しく作られる純クラシック音楽がその地位を取り戻すことは難しいんじゃないかと思っています。
また、そうした動きがクラシック界の主流になっていくことも、今すぐにはないかもしれません。
もちろん僕も他の多くのクラシック・ファンと同じように、バッハやモーツァルトやベートーヴェンといった天才たちの遺産をこよなく愛しています。
しかし、それと同じかそれ以上に、同じ時代に生きる僕たちに寄り添った、老若男女に広く親しまれるクラシック音楽が生まれてくることを望んでいます。
そんな僕の感覚は、やっぱり他のクラシックCDの店員とはちょっと違うのかもしれません。
でもこんな店員がひとりぐらいいてもいいじゃないか、と心の中でつぶやいてみるのです。