教員志望だった僕が教員にならなかった理由(再掲)

春は出会いと別れの季節。京都芸大キャリアデザインセンターの送歓迎会がありました。センター創設当初から一緒に音楽アドバイザーとして活動して来られた、教育課程の牧野淳子先生が3月で退職されるということで、現在は削除したページに乗せていた牧野先生との思い出の記事を再掲します。先生もおっしゃっておられましたが、もっと色んなお話しをたくさん伺いたかったです。牧野先生、お元気で。

Sound and Silence
■ 2015-04-28

僕はもともと教育学部の大学が第一志望だったので、大学でも教育関係のことを自分なりに色々と勉強していました。その中でとても影響を受けたのが、従来の西洋音楽の楽譜によらないもっと自由な発想で、出てきた音全てを楽しむ教育法について書かれた書籍、特にジョン・ペインターの「音楽の語るもの(Sound and Silence)」、マリー・シェーファーの「教室の犀」、そして日本で新しい音楽教育の在り方を熱心に推進されていた、作曲家の林光さんの「音楽教育しろうと論」でした。

でも結局僕は教職免許は取ったものの、音楽教師にはなりませんでした。僕が音楽教師にならなかったのは、教育実習に行ったときに感じた先生の雑務の多さもありますが、もうひとつ、僕の中での決定的な出来事がありました。

学生時代のある年の夏休み、僕は大阪市内の小学校で、職員室の電話番というアルバイトをしていました。そこで何気なく、棚に置いてあった大阪府内の職員名簿をパラパラと見ていました。そして、見覚えのある音楽教師の名前を見つけました。その人は林光さんと共に新しい音楽教育に最前線で取り組んでおられた先生でした。林さんの本は1970年代に書かれたものだったので、その先生がまだ現役で教師をされていたことにまず驚きました。そして次にこう思いました。

「あの革新的な教育法を最前線で進めておられた先生がいまだに現役で教育現場にいるのに、日本の音楽教育は1ミリも変わってないじゃないか!!!」

僕が中学、高校と受けてきた音楽は、いわゆる昔ながらの授業でした。あの先進的で情熱も行動力もある先生をもってしても、日本の音楽教育を変えることはできなかったんだ!と、とても落胆しました。そしてこの出来事をきっかけに、音楽教師になることへの興味が薄れていきました。今考えると「それなら僕が変えてやる!」と思ってもよさそうだけど、その時の僕はショックの方が大きかったのです。

今日、京芸キャリアデザインセンターの会議があって、音楽アドバイザーのひとり、音楽教育のスペシャリストの牧野淳子先生とお話ししたとき、ジョン・ペインターの「Sound and Silence」という単語が出てきたので、「あの黄色い分厚い本ですよね!!僕持ってますよ!」と言って盛り上がりました。牧野先生から伺ったお話しでは、平成20年(だったかな?)から、ジョン・ペインターの提唱をベースにした音楽教育法が指導要領に盛り込まれるようになったんだそうです。林さんたちが模索していた時代から40年を経て、ようやく音楽教育が変わってきたということを今日初めて知り、とても嬉しく思いました。(ただし牧野先生曰く、その手法をきちんとコントロールできる教師はまだ多くないともおっしゃってましたが)

僕は今、教師になりたかった頃とは違うポジションとやり方で音楽と社会に関わっているので、音楽教師になりたいという思いは今のところないけど、新しい音楽教育を受けた今の子供たちがどんな風に育っていくのか、これから楽しみにしていきます。