2008-08-08 追悼コーナーに思う

CDショップでは、有名な作曲家や演奏家が亡くなった時に追悼コーナーを作って故人を偲ぶことがあります。
でも僕は追悼コーナーを大きく展開することに抵抗があります。
これはチャンスとばかりに、死んだばかりの人をネタにして金儲けをしようとするような雰囲気が好きになれないのです。
実際、ミュージシャンの訃報が飛び込んで来た数時間後には、関連CDやDVDなどの一覧リストが載った注文書が、各レコードメーカーからFAXやメールで次々と送られてきます。
そうした周囲の動きを見るたびに、気持ちが滅入ってしまいます。

白血病のために38歳の若さで亡くなった本田美奈子.さんは、僕がCDショップで働くようになって初めてのメジャーな追悼アーティストでした。
本田さんは元々アイドル歌手でしたが、後年はミュージカルでの活動を経て、クラシックの楽曲をポップスのアレンジに乗せて歌う「クロスオーバー・クラシック」と呼ばれるジャンルのアルバムを発表していました。
そのため当時の彼女のCDは、J-POPではなくクラシックフロアで担当していました。
生前から病気と闘う姿がテレビなどで報道されていたこともあり、彼女の死は広く世間一般に大きな衝撃を持って受け止められました。
レコードメーカーも全国のCDショップも追悼ムード一色になり、彼女のアルバムは爆発的に売れました。

でも僕には、大きな追悼コーナーを作ることが心情的にどうしてもできませんでした。
各アルバムの在庫は店頭に数枚ずつしか置かず、売り切れたらその都度補充をするという感じで、必要最低限のオーダーに留めていました。
自分が人の死をネタにして商売していることがイヤだったし、CDが売れていく現象そのものも、特にファンでもない、生前は見向きもしなかった人たちがブームに流されて買いに来ただけなんじゃないのと、歪んだ目でしか見られませんでした。

本田美奈子.ブームも落ち着いたある日、家で妻と話していたときのこと。
僕は追悼コーナーはイヤだから作らない、在庫もほとんど置かないようにしてるんだということを話したところ、妻に「でもそれっておかしくない?」と突っ込まれました。
そのCDを欲しいと思っている人たちがいるのに、店員がCDを買う機会を奪うのはおかしいと言うのです。
そう言われてみると、確かにその通りのように思えました。
僕が追悼コーナーを作ることに気が進まないのは事実としても、だからと言ってお客様から購入の機会を奪ってもいい理由はありません。
それに、僕が拒んだところで、結局お客様は別の場所で買うだけで、僕の行為はただ購入の手間をひとつ増やしてしまうだけに過ぎないということにも気づきました。
それは僕が本当にやりたかったことなんだろうか……。

色々と考えた末、今後は買いたいというお客様の希望に応えるだけの、充分な在庫を持つことにしようと思いました。
そして僕に決定権がある時には、特別な追悼コーナーを作ってCDを山積みするなどこちらから購買を煽るようなことはせずに、あくまで今まで置いてあった場所に追悼の意を表した小さなPOPを設置し、そこに在庫をそろえようと決めました。
それでも結局は追悼と称して商売をしていることに違いはないし、お客様からみても他のショップの追悼コーナーと何ら変わりはないように見えるのかもしれません。
それでも、自分なりにお客様と故人との間で折り合いをつけたルールを決めたことで罪悪感は薄れ、「自分から金儲けをしているんじゃなくて、世の中の需要に応えているだけなんだ」というスタンスに立つことで、気持ち的にはずいぶん楽になりました。

考えてみると、クラシックは基本的に時間の流れに後ろ向きな音楽ジャンルです。
「モーツァルト生誕250周年」だの「プッチーニ生誕150周年」だの、盛り上がるのはもっぱらもうこの世にいない人たちのことばかりです。
そんな世界にいる僕が、毎年くり返される「没後○○周年」という特集企画には別に何とも思わずに、むしろお祭り気分で取り組めるのに、死んだばかりのアーティストの追悼コーナーを考えると気が滅入るのはなぜなのか、自分の心理は自分でもまだわかっていません。