【クラウドファンディング27日目】演奏は人の営みである

かつて僕は、自分の演奏を聴いてもらうことと、自分がいいと思った演奏を人に薦めることとでは、モチベーションが同じだということに気づいて、自分で演奏することを辞めました。そんな僕に、CDショップはまさにピッタリの職場でした。僕は今でもCDショップのバイヤーという仕事をしていたことに誇りを持っています。でもそんなCDショップにも、ちょっとした不満もありました。例えば「仔犬のワルツください、演奏は誰でもいいので」みたいなケース。そのCDで演奏している人が、生きている人なのかもう死んでいるのか、男か女かも知らずに買われることも多々あるということ。作曲家に比べて演奏家の存在が薄いということに、少しずつ違和感を覚えていました。

僕が働いていた梅田のJEUGIAは店内にピアノが常設されたステージがあり、プロアマ問わず色んな人が演奏をしていました。その様子を連日見ているうちに、また別の違和感も湧いてきました。過去の超一流の演奏ばかりが並ぶCDショップの店内で、演奏レベルでは敵うはずがないそこそこの人たちが弾いているのを、みんな笑顔で聴いている。これって一体どういうことなんだろう?って。そこで僕がたどり着いた答えは「演奏は人の営みである」ということでした。どんな演奏をしたかも重要だけど、誰が演奏しているのかが大事なんだと。僕はもっと演奏家にフォーカスした仕事をしたいと思うようになり、10年前に大阪音大の演奏派遣の事務所に転職しました。

クラシックの音楽美学が世界共通のものだとして、誰もが目指している頂点を世界一流と呼ぶのならば、僕が今作っている音源のホルンはもちろん三流以下です。それでもクラウドファンディングでご支援してくださったり、「買います!」と言ってくださったりするのは何故なのか?あと3日だけ僕の営みを語りたいと思います。

【クラウドファンディング26日目】遺言のつもりで作ってます

大型連休前で見ている人も少ないだろうということで、しれっと重たいことを書きますが、僕はおそらく死後の世界はないと思っています。いや、前世や来世という輪廻転生の概念はあるかもしれないと思っているけど、現世で持っている意識がリセットされるのなら、今の僕にとっては意味がないなと思ってしまいます。今の自分がコントロールできるうちに自分のけじめをつけて、そのリアクションを自分で知りたい。だから僕は生前葬に憧れています。死んだ後に悲しまれても僕にとっては意味がないので、生きているうちにやってしまいたいんです(あくまで僕にとってです。葬式は死んだ人のためではなく、残された家族がけじめをつけるためにやるものだと思っています)。

今作っている音源は、僕のホルン吹きとしての遺言のつもりです。もともとホルン吹きとしての未練はもうとっくになかったけど、これが無事に完成したら本当に思い残すことはありません。手にとってもらえた人に「いい曲ですね」と言っていただければ充分嬉しいし、その上で、もし僕の記事を読んで「こんな音楽との付き合い方もあるんだな、俺もレコーディングしてみようかな」と思ってくれたり、音源を聴いて「楽な音域で吹ける曲を選べば、私にもまだまだ音楽を楽しめるかも」と思ってくれたりしたら、更に嬉しいなと思います。

なお、あらかじめ表明しておきますが、僕は「遺言は常にアップデートされるもの」と考えています。今のところは最初で最後の作品だと思っていますが、もし第二弾、第三弾と続いても、気が変わったわけではなく、それは遺言が更新されたということです。

【クラウドファンディング25日目】平成の音楽人生の集大成

僕は平成元年に京都芸大に入学しました。高校は普通科だったので、吹奏楽が盛んな地域だったとはいえ、クラシック音楽の業界とは無縁の環境で過ごしてきました。クラシック業界を初めて肌で感じたのが、大学に入った平成元年であり、僕のクラシック界でのキャリアはそのまま平成の30年間と重なっています。演奏者としては20余年のブランクがあるので、演奏レベル的には完成形と呼べるものではないけれど、30年間で経験してきたひとつひとつの点を繋ぎ合わせて線にしながら制作しているこのアルバムは、まさに平成を集大成した作品になるはずです。

ちなみに大学のときの僕の学年は、音楽学部60人中で男が9人という学年でした。作曲科の同級生が卒業時に「9人の男のためのラプソディー」という曲を作ってくれて、男9人で演奏しました(ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、トロンボーン、ホルン、チューバ、テノール、バリトン、ピアノ)。僕はその曲を今でもすごく気に入っていて、平成元年に出会った9人が平成の最後にその曲を再演する、という妄想をしていました。残念ながら作曲者の許可が下りなかったので、妄想のままになってしまいましたが…。幸い男9人は全員、今でも音楽に関わっているので、そのうち違った形でチャンスが来るんじゃないかなと思っています。

【クラウドファンディング24日目】ピアニストは「共演者」

ソリストと一緒に演奏するピアニストを指す「伴奏者」という言い方が好きではありません。不本意ながら便宜上そういう言い方をすることもあるけれど、ピアニストは「共演者」だと思っています。とはいえ「伴奏者」と言う方がしっくりくるケースもあって、例えばオペラアリアや協奏曲など、オーケストラのパートをピアノ譜に直してあるものを弾いてもらうときは「伴奏者」という呼び方の方が近いのかもしれません。僕は学生のときの実技試験で、ホルン奏者の基本レパートリーであるモーツァルトの協奏曲を吹いたことが一度もありません。せっかく素晴らしいピアニストと演奏できる機会に、協奏曲を「伴奏」してもらうのがもったいないと思っていたからです。

今回のレコーディングも同じで、ピアニストは「共演者」です。ホルンとピアノは音楽的に全く対等で、むしろ僕の方が奈良さんの世界観に寄せている曲もあります。「この曲は絶対に奈良さんの魅力が出るに違いない!」と思って選んだ曲もあります。当初はアレンジものは採用しないという方針だったけど、どうしても弾いてもらいたい曲がみつかったので、自分でアレンジした曲もあります(最終的に収録できるかどうかまだわからないので、今は曲名は明かさないでおきます)。奈良さんはどう思っているかわからないけど、このアルバムは僕と奈良さんとの共作だと思っています。

【クラウドファンディング23日目】熱心に語れるものがあるか

あるピアニストと話していたときのこと。彼女は京都でロングラン上演している舞台「ギア」のファンのようで、その舞台の面白さをとても熱心に語ってくれました。セリフが一切ないノンバーバルな舞台であること、登場人物は全て人間型ロボットで、パントマイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリングなどのパフォーマーが演じていて、それぞれの素晴らしいパフォーマンスが堪能できること、プロジェクションマッピングなど光の演出がすごくて見ごたえがあること、などなど。僕はその時「ギア」のことを知らなかったのですが、とても面白そうだと思いました。そして後日「ギア」を見に行ったのでした。

この話が興味深いのは、実は彼女と会っていたメインの目的は、どうやったら一般の人にも楽しんでもらえるクラシックコンサートができるのか?ということでした。僕は思わず、「さっきギアを熱く語ってたのと同じテンションで、自分のコンサートのことを熱く語ってよ!笑」と言ってしまいました。この出来事があってから、僕が関わっているコンサートを宣伝するとき、いつも頭に浮かんでいるライバルは「ギア」です。 僕のアルバム制作のことも、まだまだ熱くお伝えしたいと思っています。

※このエピソードの本人には申し訳ないですが、いつまでもネタにさせてもらっています(笑)