芸術家集団「音色工房」には、4人の音楽家とともに、美術のジャンルから映像作家の前田剛志が参加している。モノオペラ『邪宗門』を初演する際、映像を作ってくれる人を探していたとき、舞台監督から「いい人がいますよ」と紹介してもらったのが前田だった。それが最初のきっかけである。平野も佐藤も、それまでに前田とは接点がなかった。
と、会うまではそう思っていた。
前田剛志は京都市立芸術大学の美術学部で学び、大学院の美術研究科を修了した。在学中にはパリ国立高等美術学部にも留学している。京都芸大では学年でいうと平野の3つ下にあたる。
京都芸大は音楽と美術の2つの学部からなる大学だ。小さな大学ではあるが、音楽と美術の学生同士の交流は、個人レベルのものは別として、活発に行われているというわけではない。つまり、大学にいた時期がかぶっていたからという理由だけでは、前田が平野と出会う直接のきっかけにはならない。
前田がほかの美術の学生と違っていたのは、クラシック音楽が大好きだということだった。彼は学内で行なわれる音楽学部の学生のコンサートに、頻繁に足を運んでいた。そしてコンサートを聴いていく中で、ある作曲科の学生の作品が気に入り、彼の作品が演奏されるコンサートを追いかけるようになった。それが平野一郎だった。
「学生時代に作曲科の学生の作品をたくさん聴いた中で、平野さんだけが目に留まっていたんです。当時書かれていた作品は今と違って、いわゆる”現代音楽”の響きをもっと持っていたと思いますが、それにしても完成度がすごく高かった。特に印象に残っているのは、立体的な音響作り。僕は当時、有名な現代音楽を片っ端から聴いていたので、大体の曲は頭の中に入っていたんです。そういう作品の質と比べても聴き劣りしないと感じていました」
現代音楽が好きだった前田にとって平野一郎は、学生時代に何度も作品を聴いていた憧れの存在だった。
クラシック音楽に対する前田の熱意は、コンサートを聴きに行くだけで満足できるようなレベルではなかった。
「僕は美術学部にいたんですけど、本当に音楽が好きだったんで、学生の時に佐藤さんの弟さん(佐藤禎。現在、京都市交響楽団チェロ奏者)にチェロを習っていたんです。僕も佐藤さん兄弟も、芸大の近くの同じマンションに住んでいたので、一紀さんの部屋にも遊びに行って、ヴァイオリンを弾いてもらったり、CDを聴かせてもらったりしたことがありました」
前田は美術学部でありながら、自分の趣味としてチェロを習っていたおかげで、学生時代に佐藤一紀とも交流があったのだ。もっとも当時の佐藤の認識は、「弟にチェロを習っている、美術学部の前田クン」という程度だったし、前田が美術学部で何を専攻していたのか、卒業してからどんな活動をしていたのかもよく知らなかった。『邪宗門』の打ち合わせで会うまで、あの「前田クン」が映像作家の前田剛志と結び付かなかったのは無理もない。
舞台監督からたまたま紹介されたはずの人が、学生時代から平野のことも佐藤のこともよく知っていたというだけで驚きなのだが、前田の話にはまだ続きがある。
「しかもですね、僕がチェロの発表会に出たときに、伴奏をしてくださっていたのが堤さんなんです!誰も意図してないのに、そういう繋がりになっていたんです」
前田にチェロを教えていた佐藤禎は、平野や堤とは京都芸大の同級生だ。その繋がりで堤は発表会での伴奏ピアニストを引き受けていたのだった。
平野も佐藤も打ち合わせの前まで、これから会おうとしている前田がそんな繋がりのある人物だとは想像もしていない。ただ全てを知っている前田だけが、ひとり興奮していた。
「最初に話を聞いたときは、『新作オペラがあるから、その映像を担当しないか』ということだけで、作曲家の名前も知らない状態でした。打ち合わせの直前になって、作曲家は平野一郎さんだとわかり、当然ぜひともやりたいと思いました。さらに一紀さんも顔合わせに来られると知って、わぁすごい巡り合わせだな!と思いました」
もしも万が一、顔合わせをしてみたものの、やっぱり採用しないと言われてしまったら、ショックは相当なものになるだろう。前田は気合を入れて打ち合わせに臨んだ。
これまでに前田が行なってきた芸術活動のひとつに、メディアアートと呼ばれるジャンルがある。メディアアートとは、コンピューターや映像技術の発達とともに生み出された、新しい芸術表現だ。音楽やダンスなどとのコラボレーションも活発に行われているジャンルにいたので、音楽と映像が融合したモノオペラ『邪宗門』のコンセプトは、すぐに想像ができた。
前田は打ち合わせにノートパソコンを持っていき、自分が作った映像を見せた。佐藤はその映像に目を見張った。それはまさに平野と佐藤が望んでいた世界だった。
「すごい映像を作ってきたから、びっくりしちゃって。話しはじめてすぐに、もう平野君と2人で意気投合していた。この人だったら、平野君の世界観を目に見える形で作ってくれるんじゃないかと思いましたね」
こうして前田は不思議な縁に引き寄せられ、最初からそう決まっていたかのように自然に、邪宗門に参加することになった。