「再演・邪宗門」 03-モノオペラを作る夢

 モノオペラ『邪宗門』は平野にとって初めての声楽作品である。その初めての声楽作品が、なぜモノオペラという大規模な形態になったのか。それは音色工房の共同主宰者、ヴァイオリニストの佐藤一紀の存在なくしては語れない。
平野と佐藤が最初に協同をしたのは、2001年のヴァイオリン独奏曲『空野』だ。作品番号1を付けた大切な作品の演奏を、平野は京都芸大の先輩である佐藤に依頼した。それ以降、邪宗門までのヴァイオリンが入った室内楽作品は、全て佐藤によって演奏されている。
2006年にピアノと弦楽四重奏のための『鱗宮(イロコノミヤ)』を初演した際も、平野はもちろん佐藤にヴァイオリンを依頼した。2人が会うのは、2003年に作曲された弦楽四重奏『ウラノマレビト』の演奏以来だった。
そこで、種は唐突に蒔かれたのだった。
「久しぶりに佐藤さんと話した日に、『平野君、モノオペラ作らない?』ってポンと投げかけてこられたんですね。モノオペラって何なんだろう?とか色々なことを思いながら、それは僕の中で呪いみたいにずっと残っていったんです。
佐藤さんの面白いところは、”何を”ということは絶対に言わないんですね。つまり内容のことは言わない。いい意味で常に表層に徹するんですよ。考えてそうしているのか直感的になのかはわからないけども、必ずそうなんですね。だから僕の中では、どんな可能性もあり得るんです。色んな候補が自分の中で出てきていました」
このとき何か上演の当てがあったわけではない。音楽家同士が顔を合わせれば取り交わす、いつもの他愛のない会話にすぎなかった。
「最初は結構、雑談から始まるんですよ」と佐藤はいった。
「プロジェクトとかじゃなくて、こんなことできたらどうだろうね?こんなオペラかっこいいんじゃない?みたいな。まあ夢物語ですよね」

 ところで、ヴァイオリニストである佐藤からの投げかけが、なぜモノオペラだったのだろうか。彼は「ヴァイオリン協奏曲を書かない?」と言ってもよかったはずだ。それは佐藤が育ってきた音楽環境が関係している。
「僕はオペラが大好きなんですよ。一番好きなジャンルを聞かれたら間違いなくオペラって言う。その次にバレエ。いわゆる舞台音楽が好きなんです。物心がついた頃から結構色んな曲を聴きだして、中学の後半ぐらいからもうオペラの世界に入っていましたからね。古典ものから近代、現代ものまで相当見ているし。声と楽器が合わさったときのあの高揚感は、他の音楽では絶対にありえない。自分の好みとして舞台音楽というのがあるから、せっかく作曲家と色んなプロジェクトをやってきている中で、『平野君、オペラってどうなの?』みたいな話は当然するわけですよね」

 この日、佐藤は平野に対してもうひとつ問いかけをしている。佐藤のその問いは、まだ声楽作品を書いたことがなかった平野にとって、少なからず刺激のあるものだった。
「佐藤さんが最初に僕に持ちかけた『モノオペラを書かない?』と言われたときの第一声は、『オペラって全部聞こえないといけないと思う?』だったんですね。言葉が全部聞こえないといけないと思う?と言われたんです。
僕は基本的にそういうものじゃないといけないと思いがちなタイプだったんです。でも、そう投げかけられたときに、はっと悟ったんですよね。そこまで自分は歌曲も何も書いてないし、それは日本語と音楽の間の問題が解決していないからだと思うんだけど、そこで一挙にバッと解凍されたようになったんです。言葉である前に響きであるということ、しかも響きそのものは言葉の意味が伝達するより前に人には届くんですよね」

 最初は佐藤自身の夢物語として投げられたモノオペラという言葉は、平野の中で静かに脈を打ち続け、そしてとうとう実現できるかもしれないチャンスがやってきた。
2007年に京都のバロックザールで開催した自主公演「作曲家 平野一郎の世界 ~神話・伝説・祭礼……音の原風景を巡る旅~」で、平野は青山音楽賞を受賞した。青山音楽賞はバロックザールの母体である青山財団が主催している賞で、受賞者には受賞後3年以内の海外音楽研修と、研修終了後1年以内の研修成果披露演奏会が定められている。
「佐藤さんに言われるまでもなく、自分の中でも声楽作品を書きたいというのは、もちろんあったわけです。2007年に青山音楽賞をいただいたころに、その受賞公演(研修成果披露演奏会)でそういうことができるんじゃないかと思いました。
そのタイミングで白秋の『邪宗門』に出会って、自分の中でそれがうわっと噴出してきたんです。それでこれが自分の世界に成り得ると完全に確信した時点で、実は『邪宗門』という題材があって、これがいいかもしれないと佐藤さんに言ったんです」
自分たちのオペラを作りたいという佐藤の夢と、初めての声楽作品を書きたいという平野のタイミング、そして北原白秋の『邪宗門』というテキストとの出会いが重なって、モノオペラ『邪宗門』の原型は姿を現した。それはオペラとも歌曲とも言えないような、2人にも全く想像ができなかった新しい創造物だった。