2009-11-03 プロの公式

これは大分前に妻から聞いた話。
彼女が高校生のとき、ある日本のプロオーケストラのメンバーが、どこかの地方都市に訪れて演奏会を開いたそうだ。
その模様はFMラジオで放送され、クラリネットで芸大進学を目指していた妻は、プロの演奏を勉強するためにテープに録音して聴いた。
そのプログラムの中に、チェコの作曲家ヤナーチェクの「青春」という木管六重奏曲があった。
「青春」はフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットという通常の木管五重奏に、バスクラリネットが加わったちょっと特殊な編成の曲だ。
こんな変わった組み合わせの曲は他にないし、ドイツやフランスなどの王道クラシックとは違った風変わりな雰囲気を持っているけれど、木管アンサンブルの団体にとっては外すことのできない名作である。
でも当時の彼女には、この曲のどこが面白いのかピンと来なかったそうだ。

数年後、京都の芸大に入学した妻は、学内で行なわれている発表会で、先輩たちが演奏する「青春」を聴き、その時に初めてこの曲の面白さに気づいたんだという。
ならば当然、こんな疑問が浮かんでくる。
あの時のプロオーケストラの演奏では、なぜ面白く感じなかったんだろう?
そこで当時のテープをあらためて聴き直してみると、どうやらそのオーケストラのメンバーは、曲のイメージを掴みきれないまま練習不足で本番を迎えたと思われるような演奏だったんだそうだ。
楽譜を間違えずに吹くことに必死だったのなら、いくら面白い曲でも面白くならないはずだ。
日々、練習と演奏に追われている、プロオーケストラの忙しさには同情する部分もあるけれど、もしかしたら妻は、このまま「青春」の面白さに一生気づくことがなかった可能性もあったのだから、単によくあるエピソードでは済まされないものもある。

「プロの音楽家とアマチュア音楽家の違いは何ですか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えるだろうか。
プロ=お金を稼ぐ人という単純な構図ではなく、もっと音楽家としての根本的な違いのことだ。
僕はその答えを、ある本の中で見つけた。
それを読んだのは随分前のことだから、何の本だったのか誰が言っていたのかわからないし、正確な言い回しも忘れてしまった。
けれどその言葉の意味するところは、今もずっと僕の指標となっている。

「プロの音楽家とは高い演奏技術を持っている人であり、高いレベルで芸術を追求する心を持っている人である」
「アマチュア音楽家は、演奏技術が高いレベルに届いていない人である」
「そして高い演奏技術を持っていても、芸術を追求する心がない人もやはりアマチュアである」

音楽家はともすれば、あの人は指がよく動くとか、高い音が楽に出せるなど、技術レベルばかりが注目されがちだ。
でも本当は技術だけではなくて心にもレベルがあって、そのどちらか一方が欠けていてもプロフェッショナルにはなれないのだ。
心のレベルを量るという発想は僕にはなかったもので、膝を打って大いに納得した。

もちろん、プロオーケストラほどのレベルになれば、純粋な技術はアマチュアとは歴然とした差がある。
特に室内楽のような少人数になればなるほど、その差ははっきりと現れてくる。
だから妻が聴いたプロオーケストラのメンバーの演奏に対して、単純にアマチュアだと断じるつもりはないし、それは正しくないだろう。
でもプロの条件を「技×心」という公式で表したとき、一時的にせよ、技術的にはプロのレベルに達している音楽家が、志の高いアマチュアに逆転されるという現象は常に起こり得る。

僕は今、仕事で若い音楽家たちの演奏に接することが多い。
そして、まだ埋もれている新しい有望な音楽家をたくさん見つけ、彼らが世に出るチャンスを与えたいと思っている。
その新しい可能性を、単に技術の上手い下手だけで評価してしまわないように、「技×心」の公式はしっかりと心に刻んでおこうと思う。