2008-09-12 お店が望むこと、お客様が求めるもの

今僕が働いているCDショップでは常時、試聴機や平台を使ったいくつかの特集企画を組んでいます。
注目の新譜を軸にして過去の作品や関連タイトルを並べることもあれば、あるテーマでくくって見せ方を変えることで、アルバムの新たな魅力を引き立たせてみることもあります。
お店ではいつも何か面白い企画はないものかと頭を悩ませているので、プライベートで買い物をしている時でも、他の店での商品の並べ方や売り方が気になってしまいます。

先日、妻と一緒に近くのスーパーに買い物に出かけました。
そこで目をひいたのは、明らかに異彩を放っている黒いコーナーでした。
その日は9月6日「黒の日」だそうで、その「黒の日」コーナーには、黒ごまわらび餅、黒い生八ッ橋、黒ごまどらやき、黒烏龍茶などなど、色々な黒い食べ物が並べられていました。
こういう一風変わった展開を見かけると仕事モードにスイッチが入り、頭の中でつい分析を始めてしまいます。

9月6日=クロ、ここまではまあいい。
でも「今日は黒の日だからゴマを食べようかしら」という主婦がどれくらいいるんだろう?
「黒の日」というくくりは切り口としては面白いものの、お客様の感情とはちょっとズレがあるような気がして、僕だったら採用しないかなと思いながら眺めていました。

今年の7月に洞爺湖サミットが開かれましたが、その直前に上司から、環境問題を取り上げる今回のサミットに絡めて「エコ・クラシック」というテーマで特集展開してみるのはどうだ、というヒントをいただきました。
自然を題材にしたクラシックを集めてみるというものです。

クラシックには自然を描いた曲がたくさんあります。
例えばベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」、グローフェの組曲「大峡谷」など、いくつかの曲がすぐに思い浮かびます。
これらはいずれも自然の風景を音で描写した曲ですが、他にも例えばフィンランドの大地が感じられるシベリウスの交響曲や、イギリス独特の霞んだ空気感が伝わってくるようなヴォーン=ウィリアムズの曲など、直接自然を描いているわけではない曲にも、作曲家の過ごした環境や自然は色濃く反映されています。
これは案外面白い企画かもしれないと思いました。

そこでさっそく、実際に展開したときのお客様の反応を頭の中でイメージしてみました。
確かに今年に入ってからエコへの関心は高まっているし、サミットがひとつの関心のピークになるだろう。
そしてクラシック音楽には自然を扱った素晴らしい曲がたくさんある。
でも……と、ここで引っかかってしまいました。
果たして「わたし、エコに関心があるからクラシック聴くわ!」となるんだろうか?
ちょっと無理があるような気がします。

それによく考えてみたら、そもそもCDを聴くのにはプレイヤーが必要なわけで、それを動かすことでたとえ微量でもCO2が排出されるはずです。
世界の首脳が集まって真剣に環境問題を議論している時に、むしろ逆効果の企画をただのポーズだけで作ってしまうのはちょっと不謹慎なのではないだろうか。
結局「エコ・クラシック」というテーマでの特集は断念しました。

いい企画が思い浮かばす頭の中だけで悶々と悩んでいると、ついお客様の存在を忘れて独りよがりなものになってしまいがちです。
「エコ・クラシック」は見せ方次第では充分に魅力的なものになったと思うのですが、今回は少し方向がずれてしまったようです。
自分が立てた企画がお客様の喜びの動機と繋がったものかどうか、いつも客観的に見られるようにしたいと思っています。

僕が色々なことを考えながらスーパーの「黒の日」コーナーを冷ややかな目で見ていると、横から妻が「あ、これおいしそう!」と言って黒ごまわらび餅に手を伸ばしました。
え、それ買っちゃうの?
いや、このコーナーはお客様の感情とのズレがね、と頭の中で理屈を並べる間もなく、黒ごまわらび餅は妻の手によって買い物カゴに入れられました。

ふうむなるほど、このコーナーは「黒の日」というテーマ自体はさほど重要ではなくて、それを利用して普段あまり注目されることのない食品にスポットを当てることによって……などと頭の中ではせわしなく「黒の日」コーナーを分析し直していました。
売る側とお客様との喜びの共有についての考察は、もう少し深く掘り下げてみる必要がありそうです。
僕は「黒の日」コーナーに軽い敗北感を味わいつつ、とぼとぼと家路についたのでした。