「再演・邪宗門」 06-葛藤と共鳴1

ピアニストの堤聡子は、音色工房のメンバーの中で最も早くから平野作品を演奏してきた。平野にとって彼女は重要な音楽的パートナーである。そんな2人は、音楽的なパートナーであるだけでなく、プライベートにおけるパートナーでもある。要するに夫婦というわけなのだが、この2人には軽々しく”夫婦”という言葉を使いにくい雰囲気がある。必要がないのであれば、2人の関係を自ら他人に明かすことはしないし、それどころか、夫婦であることを悟られないようにしているのではと思えることすらある。
音楽と真摯に向き合う芸術家にとっては、ときに”夫婦”という言葉が持つイメージが邪魔になる。実際、2人の間には相当な緊張関係があるのだという。だから平野は、甘いイメージを持たれてしまう状況がもどかしい。
「夫婦だから、どうしても仲良しで甘くやっているような誤解を常に呼ぶと思うんですよね。それはまあしょうがない面もあるし、いちいち説明する必要はないと思うんだけど、実際はものすごくシビアにやっているんです」
堤もまた、同じようなもどかしさを感じている。彼女は自分の演奏活動が、夫婦というフィルターを通して理解されることを警戒していた。
「すごく善意の誤解で、『ご主人の作品を素晴らしく演奏されるのは、きっとパートナーだからですね』とか、そういう風に言われることに対する憤りが、平野は平野であったみたいだし、私は私であって。嫁だから弾けるんじゃないんだけどなあ、そんな感じに見えるのかなって悩んだりしていました。真剣にやっていることをわかってほしかった。周りに馴れ合いでやっているように見られたくなかったんです」

堤は兵庫県神戸市で育った。神戸は人口150万人を超える日本有数の大都市である。比較のために記しておくと、平野が生まれ育った京都府宮津市は人口2万人前後。2人の育ってきた環境は全く違う。そして堤は音色工房のメンバーの中で、唯一のクリスチャンである。自身の音楽的ルーツを探るべく日本の民間伝承音楽を訪ね歩いてきた平野とは、音楽的な土台も大きく異なる。
「長い間一番近くにずっといたんだけれど、一緒に何かをやることについては、すごく慎重でした」と堤はいう。
「ちょっと書いてよ、ちょっと弾いてよ、みたいな気軽な感じでは一切ない。2人が育ってきた環境とか世界観とかがあまりに違うから、何をやるにも簡単じゃないんです。それだけに時間がかかるし、そこに一番葛藤が現れることになるから」
一方で平野は、お互いの世界観の違いを認めつつも、音楽家としては安易に堤の世界に歩み寄ることをせず、自らの世界を提示し続けた。
「そもそも、僕が邪宗門の世界に目覚めるひとつのきっかけになっているのは、堤さんから知ったキリスト教文化です。日本におけるキリスト教文化は、僕にとっていずれ正面から向き合うべき重要なものとして示されていた。それにもかかわらず、今まで堤さんと協同していく中では、表面上は圧倒的に、神話的な主題や仏教的な世界が強かった。僕の中でそれらは、堤さんの背負った世界と根底では確実に繋がっているものと実感しているんだけども、彼女にとっては、どうも唐突に投げかけられた無茶振りとして受け止められたようなんですね」
2人が音楽家として向かい合うとき、それは甘い共同作業などには決してならない。むしろより激しい摩擦と、それを乗り越えるためのエネルギーが必要になることだった。