2015-02-15 朴守賢 インタビュー 未公開1/2

2014年7月13日、今年の吹奏楽コンクールの課題曲V「暁闇(あかつきやみ)の宴」の作曲者、朴守賢さんのインタビューを公開しました。まだ音源も楽譜も発売前だったために楽曲に関する内容は書けなかったのですが、2月から販売が始まりましたので、その時の未公開インタビューを掲載いたします。各団体とも、これから課題曲選びが本格化してくると思いますので、ぜひ「暁闇の宴」の世界への入り口として参考にしてしていただければと思います。

  • 暁闇の世界観

――初めて朝日作曲賞の本選に残ってから11年、色々な経験を積んでこられたんじゃないですか

「僕は病気で音大を2年間休学してる時期があったんです。生活も大変な状況で、僕の人生の中でものすごく苦しい時期だった。でも、自分の中で不思議と光はずっとあって。それで、その年に苦しい時にもがきながら書いた曲が、初めてアジア音楽祭という国際舞台にノミネートされて、東京佼成ウインドオーケストラで演奏されたんですよ。それから、その年に初めて出した朝日作曲賞で本選に行って、同じくその年に初めてテレビドラマの仕事をさせてもらえた。確かにその時は暗闇があったけど、でも絶対に諦めずに光を失わずに追い求めていた。だからそういう意味では全然心配してなかったんですよ。光があったから。苦しみながらやってるうちに、バーンと開いたというのはありましたね」

――光を信じて追っていたんですね

「昨年も、公私の私はものすごく幸せでしたけど、やっぱり今までにない悩みを抱えたという点ではすごい闇の中にいて、以前と同じような感じでした。しかも今回は、他の人と共有しようにもしづらい闇で、どう言ったらいいのか……がんじがらめで、ちょっと変なところにはまり込んだ感じの精神状態でした。でも、やっぱり光はあって。そういう意味ではやっぱり心配はしてなかったんです。いつもそうなんですけど」

――その「光がある」というのはどういう状態なんですか?

「それがね、小さい時から持っている世界観なんですよ。ずっと広がっている世界があるんですけど、決して明るくないんです。でも、お先真っ暗かと言ったらそうじゃなくて。むしろ夜明けなんですよ」

――夜明け、ですか

「これから光が訪れるような闇。結構ずっとあるんですよ。20代の苦しかった時もあったし、今もあった。それが僕にとっては、ものすごく美しいわけです」

――その夜明け前の状態が?

「そう。今回の課題曲のタイトル『暁闇の宴』の、暁闇(あかつきやみ)というのは、まさにそこなんですよ。これから朝日が昇り始める時の闇。薄暗いけど、でもどんどん明るい色がグラデーションになって闇に変化を与えていく」

――課題曲のタイトルとしてつける前から、そういう世界があったんですね

「ありました。一昨年、コンテンポラリーダンスとコラボした作品発表があったんですけど、その時にコラボした舞踊家のお知り合いの方が、僕の演奏と作品を聴いて『暁闇』と表現してくださったんです。暁闇という言葉は和歌とかにも出てくるみたいなんですが、その時に僕も知りました」

――その作品発表には「暁闇」というキーワードは出てこないんですよね?

「ないです。僕はオープニングで巴烏(バーウー。中国雲南省を中心に演奏される横笛)の即興演奏をしたんです。それと自分の作品も出したんです。それを聴いた舞踏家のお知り合いの方から『暁闇』という言葉が出てきた。それが僕の音楽にぴったりだと言われたんです」

――そうなんですね

「自分が持っている世界観にぴったりで、僕もすごく気に入っていたんです。いつかどこかで使おうと思ってずっと温めていて、今回使うに至りました。本当はもっと静かな感じで、もう少し神妙な感じのイメージはあったんですけど、今回の曲は結構激しいところもあるので、曲を書いたあとでタイトルを考える時に、整合性を持たせたるために『宴』という言葉をつけました」

「『暁闇の宴』の難易度」につづく>

朴 守賢(パク・スヒョン)

1980年2月、大阪生まれ。
大阪音楽大学音楽学部作曲学科作曲専攻出身。

吹奏楽、管弦楽、室内楽、民族楽器、合唱、歌曲、朗読音楽、等の作曲・編曲
TVドラマ、CM、映画、劇音楽等の劇伴音楽制作
クラリネット、リコーダー、雲南の横笛「巴烏」(Bawu)等の演奏
指揮、音楽指導
音楽を通した世界各地での芸術国際交流
等で活動中。

2014-07-13 朴守賢 インタビュー 6/8

  • 吹奏楽への思い

――朴さんはしばらく、意識的に吹奏楽から少し距離を置いていたという話がありましたけど、どういうところが近づけないと感じていたんですか?

「今の僕は、僕が問題だと感じていることも、存在として理解はしています。つまり認めているし、必要だとも思っているし、いい面ももちろんある。ただ、これもバランスの問題なんです。非常にバランスが悪い。まず今の吹奏楽界はアマチュアを中心に回っていて、多くの団体はコンクールでいい賞を取りたい。もちろん、賞の前にいい音楽をして、結果的にいい賞があるんだよみたいな論調も最近はよく見受けられるし、『響宴』や『バンド維新』みたいに、意欲的でいろんな可能性を開拓している運動もありますが、それでもコンクール市場が中心だと思うんです。コンクールのおかげで日本の吹奏楽が大きく発展してきた側面もあると思うので、良くも悪くもですけど。そのためコンクールでいい賞が取れそうな音楽が持てはやされますよね。そうなると、いわゆる勝ちパターンがあるから、その勝ちパターンにはまる曲が好まれる、好まれるから作曲家はそういう曲を書く、売れるから出版社はそういう曲を売る、そういう曲が欲しいから先生は買う。ひとつのビジネスサイクルができあがっているんです。それでここ10年は大きく発展してきていると思います」

――ここ10年のことなんですね

「吹奏楽界でいわゆる『邦人作曲家』と言われる人達や、出版社の数が以前より増えたのはそうだと思います。ここ10年のことですよ。学生たちはそういう曲をたくさん演奏するわけですよね。そうすると、毎年違う曲をやっているように見えて、音楽の構造だけを抜き出せば全然変わりがなかったりとか、あるいはストーリーがあって、そこに食いつくみたいな。だからミュージカルみたいな曲が多いですよ。物語に乗ってじゃないと音楽が歌えない、音楽を表現できないというのが非常に多くなっている。そういう音楽もいいけど、もちろん音楽はそれだけじゃないじゃないですか。吹奏楽も音楽なので。でも主流は本当にそんな感じです」

――でもこれから、朴さん自身がそういう世界に入るわけじゃないですか。オーダーがあって書くわけだから、むしろそういう曲ばっかりになる可能性が、忙しくなればなるほどあると思うんです

「あります、あります。そこはだから、見失ってはいけないなとは思います」

――それはそれでアリだけど、バランスはちゃんと見ておかないと、ということですね

「そうです。例えば僕は関西現代音楽交流協会とか、純粋に音楽を追求した発表の場を継続的に持っていますけど、そういう場がかなり大事になってくると思います。そういう傾向になればなるほど。これから色々と吹奏楽の曲を書かせていただくようになって、今の流行りのスタイルで書くことを要求されても、僕はその中できっちり勝負したいし、そのオーダーの中でちゃんと、僕が思うあるべき理想の音楽というのを体現したいし、子供たちにも自信を持って演奏してもらえるような、聴いてもらう人にちゃんと聴いてもらえるようなものに挑戦していきたいし、そこに向かいたいです。でもそれが曲がってしまって、曲を書くときに、こういうスタイルで書いたら売れるなとかいう思考が、あってもいいけど、それが音楽より先行してしまったらもう終わると思います。すぐに終わると思うんです」

――終わるというのはどういうことですか?自分の中で終わるということ?

「そうです。他の作家の方々のことではないですよ、みんなそれぞれスタイルや哲学がありますから。僕という人間としては終わってしまうということです。僕の思っている目的ではなくなってしまっているから。でも売れるということは、多くの人が好んでいるということだから、その分多くの人が、ある部分ではハッピーになっているということですよね。それはとてもいいことですし、だからそのような側面をリスペクトした上で、バランスを大切にしながら自分の役割を全うしたいと思いますね。その結果たくさんの方々に取り上げてもらって、吹奏楽や音楽の新たな魅力や側面を共有できたら嬉しいです」

――朴さんの役割というか、吹奏楽界での立ち位置はどういうところだと考えているんですか?

「僕の基本的な立ち位置としては、音楽芸術としての吹奏楽を開拓しようとしています。だからコンクールを前提とした尺とか内容とか編成というのを、しばしば無視しますね。もちろんそういうオーダーがあって書くときもあるんですよ。あるんですけど、前提としてはそうです。でもさっきも言ったように、今はそれしかやらないというスタンスじゃないので、できるだけ色んな形で貢献したいと思っています。例えば難易度が易しいイコール内容も薄いという曲が結構多くて、初心者でも取り組めるような、難易度がそんなに高くないけども、でも音楽作品としてすごく内容のある、取り組みがいのある曲というのが意外と少ない。例えばそういう曲を書いたりとか。吹奏楽の教育的側面は絶対に無視はできない。それは全然否定しているわけでもなく、むしろ吹奏楽が持っている魅力のひとつでもあると思うんです。僕が今思っているのは、魅力の部分をより広げて、より多様化したいというか、より充実させたいんです」

――今主流になっている音楽はその役割としてあって、朴さんはその流れがカバーしきれていない部分の魅力をもっと広げていきたいということですね。音楽芸術的な吹奏楽作品というのは、これまでにも例えばシェーンベルクとかヒンデミットとか、ありますよね。いわゆる吹奏楽の作曲家ではない作家の作品が。でもそれだけと、巨大なアマチュア市場にぽこっと単発で入っただけのことで……

「なかなかウェーブは起こりにくいですよね」

――朴さんは、それを中に入ってやろうとしているということなんですね

「そうです。今までは外から投石していたようなイメージです。今やありがたくも、がっつり中に入り込めるわけですから」

――まさにそうですよね。これから課題曲の作曲家としてのキャリアがいよいよ始まりますね

「今度、中学校で職業体験学習の一環で講演をするんですけど、子供たちに自信を持ってこう言いますね。諦めるなと。信じて、感謝して、努力していけば実ると。本当に自信を持って言えます。自信を持って言いたい、できるだけ伝えていきたいです」

「暁闇の世界観」につづく>

朴 守賢(パク・スヒョン)

1980年2月、大阪生まれ。
大阪音楽大学音楽学部作曲学科作曲専攻出身。

吹奏楽、管弦楽、室内楽、民族楽器、合唱、歌曲、朗読音楽、等の作曲・編曲
TVドラマ、CM、映画、劇音楽等の劇伴音楽制作
クラリネット、リコーダー、雲南の横笛「巴烏」(Bawu)等の演奏
指揮、音楽指導
音楽を通した世界各地での芸術国際交流
等で活動中。

2014-07-13 朴守賢 インタビュー 5/8

  • 吹奏楽との関わり方

――Wikipediaの朴さんの項目には「吹奏楽の作曲家」というカテゴリーがついていますけど、そう言われることに対して、何か思うことはありますか?

「それは好きにしてくれたらいいです。まあこの賞を取った以上は、僕のキャリアの中では吹奏楽での認知度が一番高くなりますよね。だから当たってなくはないです。『吹奏楽の作曲家』というカテゴリーなんでしょ?『吹奏楽しか書かない作曲家』というカテゴリーじゃないからいいです」

――これからは吹奏楽をメインにしていこうとか、そういうのは?

「もちろん、僕の大きなフィールドにはなると思います。ただ僕は吹奏楽しか書かない作家ではないので、あくまで自分がさせていただけることのひとつに吹奏楽があって、今はそのシェアが大きいということだと思います。まあ実際に得意でもあるので、例えば来年一年そこにどっぷりになっても、それはむしろそういう時期なんだろうと思うわけです。今まではどっぷりを自ら避けていたんですが、今は自らそこに入って、より音楽的にも文化的にも魅力のある吹奏楽にしていこうと思っているので、望むところです。僕は吹奏楽の外でも色々な活動をしているから、そういう新しい空気を吹奏楽にも持っていけるし、逆もまた然りなので。そういう、自分ならではのフットワークとか活動のスタイルというのは楽しいですね。秋にポーランドに行きますけど、あれは国際現代音楽協会(ISCM)、つまりがっつり現代音楽のフィールドですよね。たまたま軍楽隊のカテゴリーがあるんですけど、オケだったり合唱だったり、色んなカテゴリーがあるわけですよ。現代音楽の世界では吹奏楽の認知度や見られ方というのは決して高くはない。だからこそ、例えば吹奏楽を使った現代音楽へのアプローチというのは、僕ができることだなと思います」

――なるほど、確かにそうですね

「僕にとってはISCMで入選したこととかはすごく大きいんですけど、国内の認知度で言ったら、やっぱり吹奏楽コンクールの課題曲が多分一番だと思うんですよ。それで認知度が高まることによって、他の活動にも色々と波及効果があればいいなぁとは思っています。現代音楽もそうだし、僕が色々と書いている他の音楽、例えば民族楽器や和太鼓の曲、これから書きたい創作童謡とかもですし、赤ちゃんや児童に対するコンサートとか。それはよくある『0歳からのクラシック』というスタンスじゃなくて、勝手に大人が枠組んでいる音楽ではない、結構硬派なプログラムとか、例えば現代音楽とか、子供の方が多分聴く耳を持っていると思うので、そういう音楽を子供たちに聴かせる機会とか。まあ例えばですけどね。それから、10年くらい続けている世界各地での芸術国際交流と吹奏楽が繋がれば面白いし、自分が演奏するライブもまた積極的にやりたいし、震災復興支援のCD(東日本大震災復興支援アルバム『道』)に収録させていただいた『雨ニモマケズ』も歌って支援の場を増やしたいし、そういうところにも今後繋げていけるのが楽しみです」

――これもWikipediaの作品リストを見て思ったんですけど、朴さんの作品はほとんどが海外での入選や受賞で、海外で先に評価されているんですよね。いわば逆輸入的な作曲家ですよね

「そうそう。そうですよ、本当にそうなんです」

――やっと気づいたかジャパン、と

「はははは。どっちかと言うと、Jリーグ入る前に先に向こうでプレーしてたみたいな」

――カズ的なポジションですね

「そうそう。まあでも見てくれている人は見てくれていて、『あ、朴さんやっと取れたね』とか『むしろ今まで取ってなかったんだね』と言ってくれる人もいました」

「吹奏楽への思い」につづく>

朴 守賢(パク・スヒョン)

1980年2月、大阪生まれ。
大阪音楽大学音楽学部作曲学科作曲専攻出身。

吹奏楽、管弦楽、室内楽、民族楽器、合唱、歌曲、朗読音楽、等の作曲・編曲
TVドラマ、CM、映画、劇音楽等の劇伴音楽制作
クラリネット、リコーダー、雲南の横笛「巴烏」(Bawu)等の演奏
指揮、音楽指導
音楽を通した世界各地での芸術国際交流
等で活動中。

2014-07-13 朴守賢 インタビュー 4/8

  • アートに生きる

――生き方のシフトチェンジによって、作曲に対する取り組み方も変化してきたんですね

「苦しんでいた時期やもしくは20代と大きく違うのは、僕の中で僕の追い求める音楽はもちろんですけどずっとありますけど、それに固執はしなくなりました。『こういう音楽を書くのが自分のアートだ』というところにいましたけど、あるいは多くの人がそこにいると思うんですけど、僕は今、生き方自体がアートだって言いたいです。生き方をクリエイティブにしたい、アートに生きたい。曲を書く絵を描く物を作るという意味を通り越したアート」

――生き方がアートであれば、枠にはこだわらないってことですか

「こだわらないですね、こだわらないです。その時にできた縁で、その時に持ち上がった話で、自分の手によってそれがより幸せな形になれる方法を考えることは、アートだなと思うわけですよ。だからそこにジャンルとかの縛りはないですね。この間、CMの音楽をやったんです。過去にCMもドラマもやったことがあるんですけど、ここ数年はご無沙汰だったんです。それは多分、自分で線を引いていたから。もう今さらDTMに付いていけないとか、自分のフィールドじゃないな結局とか、やっぱり生楽器でしょとか。でもそういう窮屈な縛りから抜けて、もっと自分の持てる力を今生きているこの世界のために発揮したい、そのために自分のやれることを、もっともっとやろうと思ったわけです。自分で言うのも何だけど『俺、もっとやれることいっぱいあるやん!』と思いはじめて、じゃあそれを何でやってないんだと。そしたらその分世界は動くし、色んな失敗もあるかもしれないけど、それで自分も成長できる。周りも音楽によって少しでもよりよい時間になるのであれば。そんなことを思っていたらCMの話がきたりとか、今年はずっとそんな感じです」

――ひとつの枠だけじゃない広がりが出てきたんですね

「趣味嗜好は基本的には変わってないので、じゃあこだわりがなくなったのかというと全然そんなこともなくて。取り組み方、生き方として根本的なスタイルが、本当の意味でより深くなったというか。変な守りを抜いて見てみると、色んな形で色んなアートを生み出せる。それはよく考えたら自分がやりたかったことだなぁとも思いますし。きっと僕はそういう人なんだろうなと思うわけですよ。家庭も顧みずに、かきむしりながら血を流しながら、生涯を非業の死を遂げて、みたいなゴッホとかみたいなタイプではない。岡本太郎みたいなタイプでもない。それはあの強烈さにあこがれを抱いたりもしますけど、でも自分はやっぱりそうじゃないんだし、決して曲を書くしか能がないという人間でもない」

――朴さんは以前から、自分の中の世界と社会との接点というか、お互いが倒れたところで支え合うちょうどいいバランスみたいなのを、すごく考えていた気がするんです。そういう意味では朴さん自身はあまり変わってないんですね

「バランスは今もずっとあります。キーワードとしてある。そうなんです。基本的に変わってないんです。本当の意味でそこに向かって本気で人生をかける、ようやくかけ始めたという感じです。昔は結局、やっぱりなんだかんだ言って、自分のことが一番大事で、自分の欲しいもののために動くみたいなところも、きっとあったんだろうなと今だったら思います。今は本当に、真の意味でそういう貢献をしたいと思うし、自分は音楽家である以上は、やっぱり音楽でよりよい世界にしていきたい。そう掛け値なしに思えたのは、家族の存在はかなり大きいです。今はもう無敵のバランスですね。あ、ここか!みたいなところを見つけた」

「吹奏楽との関わり方」につづく>

朴 守賢(パク・スヒョン)

1980年2月、大阪生まれ。
大阪音楽大学音楽学部作曲学科作曲専攻出身。

吹奏楽、管弦楽、室内楽、民族楽器、合唱、歌曲、朗読音楽、等の作曲・編曲
TVドラマ、CM、映画、劇音楽等の劇伴音楽制作
クラリネット、リコーダー、雲南の横笛「巴烏」(Bawu)等の演奏
指揮、音楽指導
音楽を通した世界各地での芸術国際交流
等で活動中。

2014-07-13 朴守賢 インタビュー 3/8

  • 生き方のシフトチェンジ

――今回の作曲にあたって、過去の課題曲を聴いて参考にしたりすることはあったんですか?

「全くないです。僕はほとんど聞いてないです。昨年は『響宴』に出たりはしていましたけど、ここ数年、吹奏楽とは近づきたくても意識的に少し距離がありました。がっつり離れてたわけじゃないけど、進んで吹奏楽を聴いたりとかしなかったし、コンクールにもずっと行ってなかったですし。それはきっと今の日本の吹奏楽、とりわけコンクールにおける吹奏楽が、個人的には音楽としての多様性が乏しいと感じていたからだと思います。コンクールである以上、そんなものなのかも知れないですけど」

――それはオリジナル作品も含めてということですか?

「オリジナル作品”が”です。まあただ、その憂いは今もありますし、だから離れていたんですけど、今は考え方をがらっと変えて、だからこそ微力だけど自分で変えていこうという姿勢です。やっぱり吹奏楽に育てられた部分も大きいですし」

――それは何かきっかけがあったんですか?

「吹奏楽できっかけがあったというよりは、全体的な生活というか、生き方のシフトチェンジというか、いいあんばいをようやく得られた感じです。結婚もあって息子が生まれて、今までは一人身だからフリーランスでやってこられたようなものを、これからはそうもいかない、でも自分の理想の音楽はここにあって、でも現実は全然違う……まあよくある話なんですけどね。息子が生まれたときに、一回立ち止まって考えたんですよ、音楽とは別の仕事をするということも選択肢に入れて、立ち止まって考えたことがあるんです。そこでものすごく考えて思ったことは、やっぱり守りに入るんじゃなくて、家族を持った今だからこそ、自分の思う音楽で社会と関わっていきたいと、攻めに行ったわけです。昨年はそれが結構しんどかったです。バランスも取れず、思うようにいかなかったので。でもそのバランスが今はすごく取れてるんです」

――そうなんですね

「すごく取れてる。人の縁も大きいですし、家族の支えも大きいですし、色々ときっかけはありますけど、ほんのちょっと意識の角度を変えるような感じで、すごい生活が楽になったというか、音楽に対することも楽になったというか。僕の中では明確なんですけど、すごくシンプルに言えば、ピュアに返ったという感じです。余計な算段とかよりもまず、音楽をできている喜びとか、それを共有できている喜びとか、小さな世界かもしれないけど、例えばこの場所でこれだけの笑顔を増やせたとか、あるいはこういう作品を提示して新たな音楽の可能性を提起できたとか。ものすごく音楽人としてのベーシックな喜びに立ち返ったら、すごく楽になりました」

――でも、それですぐ物事が上手くいくというのとはまた違う話ですよね

「いやそれがね、不思議なことですけど、上手く回り始めました。この仕事がいくらでとか、これは締め切りがいつで、でもこれをやっていたら息子との時間がなくなって、という論法だと、その中で考えている以上はにっちもさっちもいかない。例えば時間。今こうしてお茶している時間を1時間持ったら、例えば1時間作曲する時間が削られるとか、育児の時間が減るとか、ということになると、もう時間なんていくらあっても足りないと思うんです。でも、例えばここでお茶したことが、他の色んな物事に繋がって拡大していく、実りになっていく、というようなことじゃないですか。あるいはそういうことに感謝することとか。もちろん理屈ではわかっているし、あるいは自分は周りよりもそういうことは実践できていたとも思っていましたけど、でもやっぱりそうじゃなかったということに気づけた。本当の意味でそういう姿勢というのは、こういうことなのかなということにも気づけた。気づいたというよりは、今自然とそう取り組めているということですね、おそらく。今強く思うのは、人だなと。本当に人ありきだから、人をとにかく繋げようとしています。だからお金のことは全然今考えてなくて。そうすると、でも本当にそうなんですけど、勝手にあとからついてくるわという感じです」

――今は意識的に人と繋がろうとしているんですね

「それがあるべき姿だなと思ったので。これは僕のある種の使命だなと思うわけですよ。音楽をやっているものとして。そういう風に社会に役立たせてもらいたいと思ったわけです。今回、コンクールに通る自信があるとかないとか、そんなことは本当に何も考えてなかったんですけど、でも何故かわからないけど、ここ何か月かは通ったことを前提に過ごしていて。だから色んなところに顔を出して、吹奏楽関係で色々と新しく繋がったりとか、新しい出版社にあいさつしたりとかしていたんですよ。通る前に」

――昨年まではそういうことはなかったんですか?

「全然しなかったです。昨年はちょっと引きこもり気味だったんで、むしろ避けていました。今年は今そういうマインドなんで、賞云々は関係なく多分そういう行動は取っていたんです。それもあって、勝手に未来は明るかったですね。不思議なんですけど。絶対通るとか、通る自信があるないとかじゃなくて、なんかもう通っている体で過ごしていて。僕は11年前に初めて朝日作曲賞に出して初めて本選に行きましたけど、あの時、もし通っていたとしても、次に繋げられたかなあと思うと、多分生かすことができなかったんじゃないかなと思いますね。そういう意味では、今はそういう準備が結構できているなという感じはありました。通っていても通っていなくても充実しているんで、そういう余裕もプラスだったのかなと思っています」

「アートに生きる」につづく>

朴 守賢(パク・スヒョン)

1980年2月、大阪生まれ。
大阪音楽大学音楽学部作曲学科作曲専攻出身。

吹奏楽、管弦楽、室内楽、民族楽器、合唱、歌曲、朗読音楽、等の作曲・編曲
TVドラマ、CM、映画、劇音楽等の劇伴音楽制作
クラリネット、リコーダー、雲南の横笛「巴烏」(Bawu)等の演奏
指揮、音楽指導
音楽を通した世界各地での芸術国際交流
等で活動中。